『ヨットはどう変わってきた』連載について
ヨットについていろいろと調べ、このブログに書いていると、「なぜ、今のヨットはこのような姿になったのだろう?」と、考えはじめることがあります。
船体の形、帆装、キールやラダー、コックピットやキャビンの造り、そしてヨットでの遊び方まで、昔から現在と同じだったわけではありません。
では、いつ、何が変わって現在のようなヨットになっていったのでしょうか。
単純に船の歴史やテクニカルな変化を年代順に並べるだけなら、それほど難しい話ではないのかもしれません。しかし、僕が知りたいのは、船の形がどう変化してきたのかだけではなく、その背景に何があり、なぜそのように変わっていったのかです。
そこを辿っていけば、現在私たちが乗っているセーリングクルーザーが、なぜこのような姿になったのかも見えてくるのではないかと思います。
ヨットの歴史について書かれたものは、これまでにも数多くあります。しかしこの連載では、単に出来事を年代順に追うのではなく、その時代を知るうえで欠かせない背景や人物、出来事、そして当時のヨットの形や船上での様子なども、さまざまな資料や文献をもとに丁寧に取り上げてみたいと思います。
そして、「ヨットを楽しむ文化の歴史」という視点からも眺めながら、ヨットはなぜ変わり、どうやって現在の姿になったのか連載形式で辿ってみたいと思っています。
※この連載は「ヨットはどう変わってきた」のカテゴリーに収録しています。
今回のまえがき
ヨットというと、英国発祥の文化というイメージを持つ人は多いのではないでしょうか?
歴史あるヨットクラブ、ヨットレース、さまざまなルールや習慣など、現在のヨット文化には英国から広がったものが数多くあります。
なので、なんとなく「ヨット文化は英国から始まったもの」と思ってしまいます。
ところが以前、このブログで「ヨット」という言葉の語源を調べたとき、そのルーツを辿っていくと、少し違った歴史が見えてきました。
では、私たちが現在楽しんでいる「ヨット文化」は、本当に英国で生まれたものなのか? そして、現在のようにヨットを「楽しむ」ということは、いつ頃から始まったのか。
そこで今回は、人がヨットに乗ることそのものを楽しむようになった、その始まりについて探ってみたいと思います。
ヨット文化は英国がはじまり?
ヨット文化の始まりを調べるにあたって、まず気になったのが「ヨット」という言葉の語源です。英語の「yacht」は、もともとオランダ語の「jacht(ヤハト)」に由来するのです。
では、なぜ英国のヨット文化で使われるようになった「yacht」という言葉のルーツがオランダにあるのか、言葉がオランダから来たのであれば、英国より前にオランダに「ヨットを楽しむ文化」があったのではないか?と考えるのが自然な流れです。
そこで、17世紀のオランダについて調べてみることにしました。すると、やはり興味深い記録が出てきます。
アムステルダムの国立海洋博物館(Het Scheepvaartmuseum/ヘット・スヘープファールトミュージアム)は、オランダについて、西洋諸国の中でも早い時期からプレジャーボーティングが大規模に行われた国であり、1600年頃には最初のプレジャー用のヤハト(jacht)が造られ、1622年にはアムステルダムにヤハトのための港まで設けられていたと説明しているのです。
これは、後に英国へヨット文化が伝わる重要な出来事が起こる1660年よりも、およそ60年も前の話です。
つまり、「ヨット」という言葉がオランダから英国へ渡っただけではなさそうです。
その言葉の背景にある「船を楽しむ」という文化そのものが、すでにオランダに存在していたと考えられるわけです。
ここで改めてオランダという国を見てみると、むしろ、この国で早くから船を楽しむ文化が生まれたことには、それなりの理由があったことがわかります。
そもそもオランダは「船の国」だった
オランダは北海に面した低地の国です。ライン川、マース川などの大河川が流れ込み、その河口部には支流や湖、湿地が広がっています。さらに人々は堤防を築き、土地から水を風車などを用いて排出し、運河や水路を整備しながら暮らしてきた歴史があります。
つまり、オランダにとって「水」は、海岸へ行かなければ出会わないものではなく、人々が暮らす場所そのものに、水路が張り巡らされていたのです。
アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum/ライクスミュージアム)は、公式サイトの「Transport by Water(水上交通)」という解説の中で、「オランダの低地では何世紀にもわたって水上交通が広く利用されてきた。河川や運河、水路、湖が網の目のように広がり、特に冬季には陸上交通が困難だったことから、多くの人々が船を所有し、帆船や手漕ぎ船などを日常の移動手段として利用していました。」とあります。
人が移動する。荷物を運ぶ。町と町を結ぶ。オランダの人たちにとって船は特別な乗り物ではなく、生活を支える交通手段なのです。
そう考えると、オランダで早くからさまざまな船が造られ、操船や造船の技術が発達していったことも不思議ではありません。
そして17世紀になると、オランダの船文化はさらに大きく発展します。
世界各地との海上交易です。1602年にはオランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie:VOC)が設立され、オランダ共和国は世界規模の海上交易を展開していきます。
大量の商品を船で運ぶ。そのために効率のよい船を造る。船を造る産業が発達する。船を所有し、船によって富を得る人々が増えていく。17世紀のオランダは、まさに「船の国」と呼んでもよいような社会になっていました。
そして、ここまで船が生活や経済に深く入り込んでくると、船にはもう一つの使い方が現れてきます。仕事でも、移動でもなく、船に乗ることそのものを楽しむ。その存在を、400年近く前の一枚の版画が現在に伝えています。
そこに描かれている船の名称が、スピールヤハト(Speeljacht)「遊ぶためのヤハト」です。
【Rijksmuseum「Speeljacht」1629年頃】
そこには帆を上げた一隻の船と、船上にいる5人の人物が描かれています。
「Speeljacht」の「Speel」は、オランダ語で「遊び」を意味します。つまり、スピールヤハトとは文字通り「遊ぶためのヤハト」ということになります。今風に言えば、プレジャーヨットと言うわけです。
このように、400年ほど前のオランダには、仕事や輸送のためだけではなく、船に乗ることそのものを楽しむための船が、すでに存在していたのです。
スピールヤハトはどんな船だったのか
スピールヤハトの姿をもう少し詳しく見てみると、現在のヨットとはかなり違った船だったことがわかります。
17世紀のオランダのプレジャーボートについて詳しく調査したロベルト・フォルストマン(Robert Vorstman)は、当時の公文書や絵画、造船書などから、初期のスピールヤハトの姿を紹介しています。
1628年に定められたアムステルダムの「旧ヤハト港(Oude Jachthaven)」の規則には、ヤハト、スループ、舟など複数の種類の船が記されており、その中でもヤハトは比較的大きな船でした。
さらに1625年のアムステルダムの市街図を見ると、ヤハト港には、船首が低く、船尾へ向かって舷側が高くなった二本マストの船が描かれています。フォルストマンは、これらが当時「スピールヤハト」と呼ばれていた船だとしています。
では、実際にはどのくらいの大きさだったのでしょうか。これについては、かなり具体的な記録が残っています。
1624年1月24日、アムステルダムで2隻のスピールヤハトが売却された記録によると、一隻は54フィート、もう一隻は53フィートでした。ただし、ここでいうフィートは現在の国際フィートではありません。当時のオランダでは地域によって異なる「voet(フート)」という尺度が使われていたため、「現代の53〜54フィート艇」とそのまま比較することはできません。もう一つ、船のサイズがわかる重要な資料があります。17世紀オランダの造船について詳細な記録を残したニコラース・ウィッセン(Nicolaes Witsen)が、1671年に出版した『Aeloude en hedendaegsche scheepsbouw en bestier』です。そこには、船首から船尾まで42フィート、幅9フィート4インチ、深さ3フィート8¼インチというスピールヤハトの仕様が記されています。 こちらのフィートとインチは、現代の単位です。
船の形にもいくつかの種類がありました。ウィレム・ファン・デ・フェルデ(Willem van de Velde the Elder)の作品には、二本マストのスピールヤハトが描かれています。

船首は低く、そこから船尾へ向かって舷側が高くなり、船尾には彫刻などの装飾が施されています。操舵する人は少し高くなった場所に立ち、その前方には低い「ローフ(roef)」と呼ばれる船室も設けられていました。また、別の版画には船室を持たずマストの後ろが開放された船や、一本マストのスピールヤハトも描かれています。帆装や船室の有無など、いくつもの形が存在していました。
そして、もう一つ興味深いのが、その数です。17世紀後半の一時期、アムステルダムにはプレジャーボートのためのヤハト港(ヤハト専用の港)が4か所あり、平均するとそれぞれ約40隻、全長10メートル前後のヤハトが専用の係留場所を持っていたとされています。このほかにも貸し出されていた係留場所があり、その数はわかっていません。
これはかなり驚く数字です。
17世紀のアムステルダムには、「楽しむための船が何隻か存在した」という程度ではなく、そうした船を係留する専用の港まで必要になるほど、プレジャーボーティングが盛んであったということになります。
400年ほど前のオランダでは、すでに船を所有し、帆を上げ、水の上へ出て余暇を過ごすという楽しみ方が、1つの文化として成立していました。
ヤハトは遊びの船だけではなかった
17世紀のオランダで「jacht(ヤハト)」と呼ばれていた船は、スピールヤハトのようなプレジャーボートだけではありませんでした。
当時の絵画や船舶資料を調べていくと、もう一つ頻繁に登場するヤハトがあります。
ステーテンヤハト(Statenjacht)です。「Staten」は、オランダ語で政府や議会などの「国家・諸州」を意味する言葉です。
ステーテンヤハトは、現在のヨットのような純粋なプレジャーボートではなく、オランダ共和国の政府機関や海軍当局などが所有し、要人の移動や視察、公式行事などに使用した船でした。当時のオランダでは、道路よりも水路を利用した方が便利な地域が数多くありました。政府の高官や海軍関係者が移動する場合にも船が使われ、そうした人々を快適に運ぶための専用船が必要だったのです。
ステーテンヤハトは一般に一本マストで、オランダの浅い水域を航行できるよう喫水が浅く、船体の左右にはリーボード(leeboard)と呼ばれる大きな板を備えていましたリーボードは、現在のセーリングヨットのキールやセンターボードのように、水中で横流れを抑える役割をするものです。浅い水域では深いキールを持つことができないため、風下側のリーボードを水中へ下ろして横流れを抑えます。
そして、ステーテンヤハトの外観で特に目を引くのが船尾です。船尾には大きな窓を持つ豪華なパビリオンが設けられ、外側には彫刻や装飾が施された船もありました。さらに、その下にはサロンのような空間があり、船内で食事をしたり、必要に応じて宿泊したりすることもできました。
公用船とはいえ、単に目的地まで人を運ぶだけの船ではなく、身分の高い人々が船上で時間を過ごせるように造られていたのです。
大きさも、現在の感覚からすると意外なほど立派です。オランダ海事史の資料には、全長60〜62オランダ・フィートほどのステーテンヤハトが記録されています。また、オランダ文化遺産庁(Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed)は、ステーテンヤハトについて、おおむね20メートルほどの大きさを持つ船もあったと説明しています。
つまり、17世紀の「ヤハト」という言葉だけを見て、現在の30〜40フィート程度のセーリングヨットを想像すると、かなり違った姿になってしまいます。
スピールヤハトにも大小さまざまな船があり、ステーテンヤハトには20メートル前後に達するものもあった。そして、用途も一つではありませんでした。公務のために使われるヤハトがあり、要人を運ぶヤハトがあり、その一方で、余暇を楽しむためのスピールヤハトもあったのです。
さらに興味深いのは、この二つの世界が完全に分かれていたわけではないことです。
当時のスピールヤハトの中には、ステーテンヤハトのように豪華な船尾や船室を備えたものも見られます。
つまり、実用的な船として発達してきたヤハトに、快適に過ごすための空間や装飾が加わり、その一方では「船に乗ること自体を楽しむ」ためのヤハトも造られるようになっていたのです。
17世紀のオランダでは、「jacht」はまだ現在のプレジャー専用の「ヨット」と同じ意味ではありませんでしたが、その多様なヤハトの中に、移動する、船上で過ごす、帆走する、そしてそれ自体を楽しむという、現在のヨットにも通じる要素がすでに現れていました。
最後に…
今回はヨットの語源がオランダの「ヤハト(jacht)」にあったというところから、オランダのヤハトを深掘りしてみました。
調べてみると、オランダでは英国でヨット文化が発展するよりも前に、すでに船を楽しむ文化が生まれ、かなりの数のヤハトが存在し、ヤハト専用の港まで造られていました。
これは現代に置き換えて考えてみると、どこか似ています。
現在も、さまざまな大きさや形のセーリングボートやヨットがあり、それらを係留するためのヨットハーバーやマリーナがあります。
もちろん、17世紀のヤハトと現在のヨットでは、船の形も使われ方も大きく違います。それでも、自分たちが楽しむための船があり、それを所有して水の上へ出る人々がいて、その船を係留する専用の港まである。
現在のヨット文化につながるようなプレジャーボートの文化が、英国でヨット文化が花開くよりも前のオランダに、すでに形成されていたことが今回わかりました。
では、その文化はどのようにオランダから英国へ渡り、そして欧米へ広がっていったのでしょうか。
そして、その中でヨットはどのように変わっていったのでしょうか。
引き続き次回以降で、その歴史を紐解き見ていきたいと思います。




コメント
僕は後進、不思議とあまり苦手意識ないんですよね…。
でも、後進時にバウ側から風が吹くと、バウが開いちゃうの防げないがら、できるだけ着桟は前から突っ込みたいですね。
スラスター付けてる艇、羨ましい。
オランダでは船は日常生活の足、運河は幹線道路ですから、たくさんな船ありますよね。古い木造のスピールヤハトも船の国だからこそ、たくさん現役で残っているんでしょうね。行ってみたいなぁ
アムステルダムへ行ったときに、100年は優に超えているヨット(スピールアハト?)が沢山もやってあって、びっくりです。
どれもアウトリガーボードを航海に出たらおろすタイプでしたね。
条件のいい海かといえば、長~い長~い運河を出ないと海に出られない。海といっても北海で寒いし風も強い。
ようは、彼らはタフなんですね。
一転、ターナーの絵に出てくるイギリスのヨット。これは全然違って、レガッタを楽しむ貴族の文化です。
これまた違うな~という感じですね。