17世紀の英国でも、王族や身分の高い人々が船を使って移動することは以前からありました。しかし、それまでの船は目的地へ向かうための移動手段という性格が強く、船内で快適に過ごすことはあっても、移動する時間そのものを楽しむために船に乗るという考え方は、まだ一般的ではありませんでした。
そんな英国の王室に『ヨット』という新たな種類の船が登場したことで、船に乗ることの意味が少しずつ変わり始めます。
かつてチャールズ2世がヨットについて語った「便利で快適」という言葉が、英国でも現実のものとなってゆきます。
目的地へ早く到着することだけでなく、船内で会食をしたり、豪華にしつらえられた船室でくつろいだり、ときには音楽を楽しんだり、景色を眺めたりしながら、移動する時間そのものを楽しむ。ヨットは、王族やその周辺の人々に、それまでとは違った船との付き合い方をもたらしました。
それまでの船が主に移動するためのものだったのに対し、ヨットは、乗っている時間を楽しむための船にもなっていきました。「ヨットを楽しむ」という文化が、英国王室の中で少しずつ育ち始めたのです。
そして、ヨットが王室の人々に親しまれるようになると、今度は船内での過ごし方だけではない、もう一つの新しい楽しみ方が生まれようとしていました。
国王と弟、どちらのヨットが速いのか
1661年、英国王チャールズ2世(Charles II)の周辺には、英国で建造されたヨットが揃い始めていました。
国王のヨットは、造船家ピーター・ペット(Peter Pett)が建造したキャサリン(Katherine)。弟のヨーク公ジェームズ(James, Duke of York)のヨットは、ピーターの弟クリストファー・ペット(Christopher Pett)が建造したアン(Anne)です。
この2隻は、ほぼ同じ時期に建造された、規模もよく似たヨットでした。キャサリンは約94トン、アンは約100トン。どちらも王族のために造られた船ですが、建造を担当したのは別々の造船家でした。
こうなると、どちらのヨットが速いのかという関心が生まれても不思議ではありません。
実際にチャールズ2世は、ヨットの速さを比較することに強い興味を示していました。1661年5月21日、英国海軍の行政官サミュエル・ピープス(Samuel Pepys)は、国王がヨットを試走させたことを日記に記録しています。
このとき、ピーター・ペットが建造したヨットは、オランダから来たヤハトや、クリストファー・ペットが建造したヨットよりも優れていると評価されました。国王は、ヨットの船内で快適に過ごすことだけでなく、船としての速さや性能にも関心を向けていたのです。
そして、同じ年の秋、チャールズ2世と弟ジェームズは、それぞれのヨットを使って、実際に速さを競うことになります。
100ポンドを賭けたヨット競走
1661年10月1日、英国王チャールズ2世(Charles II)と弟のヨーク公ジェームズ(James, Duke of York)は、それぞれのヨットを使って速さを競うことになりました。
国王のヨット、キャサリン(Katherine)と、ヨーク公のアン(Anne)による競走です。
この勝負には、100ポンドという賭け金が設けられました。
競走の舞台となったのは、ロンドンを流れるテムズ川(River Thames)です。出発地点は、ロンドン南東部のグリニッジ(Greenwich)から河口方向へ約20マイル(約32キロメートル)下ったグレーヴズエンド(Gravesend)まで進み、再びグリニッジへ戻る往復のコースでした。

この競走について記録を残したのが、当時の英国の文筆家で、王室とも交流のあったジョン・イーヴリン(John Evelyn)です。イーヴリンは、この日の競走に国王とともに参加しており、日記にその様子を詳しく書き残しています。『チャールズ2世とヨーク公ジェームズは100ポンドを賭け、それぞれのヨットを走らせた』とあります。
これは単に造船家たちが船の性能を確かめるための試験ではありません。国王と弟が、それぞれのヨットの速さを競い、その勝敗にお金を賭けたのです。
ヨットが、王族の移動や船上での娯楽のためだけでなく、勝負を楽しむためにも使われるようになったことを示す、歴史的な出来事でした。
王室が楽しんだ100ポンドの賭け
話はヨットから少し外れますが、17世紀の英国では、競争や遊戯にお金を賭けることは、決して珍しいことではありませんでした。
競馬やカード、サイコロなどにお金を賭ける習慣は、1660年の王政復古以前から存在していました。1622年には、ニューマーケット(Newmarket)で貴族たちが100ポンドを賭けて競馬を行った記録も残っています。
王室でも賭け事は娯楽の一つでした。チャールズ2世(Charles II)の宮廷では、サイコロやカードなどの勝負に多額のお金が賭けられていました。1662年1月6日、王室の行事である十二夜祭の夜、チャールズ2世はサイコロの勝負で100ポンドを失っています。
この出来事を記録した英国の文筆家ジョン・イーヴリン(John Evelyn)によれば、国王は前年の同じ行事では1,500ポンドを勝ち取っていました。この夜も宮廷の人々が賭け事を楽しみ、オーモンド公爵(Duke of Ormond)は約1,000ポンドを勝ち取ったといいます。
では、国王たちが娯楽として賭けていた100ポンドとは、当時どれほどの価値があったのでしょうか。比較対象になるのが、英国海軍の行政官サミュエル・ピープス(Samuel Pepys)です。
ピープスは1660年に海軍委員会の書記官に就任し、年俸350ポンドを受け取っていました。ロンドンの海軍庁舎にある官舎で妻と暮らし、使用人を抱え、劇場や音楽なども楽しんでいた、当時としては裕福な役人でした。
そんなピープスの年俸と比べると、100ポンドは約3か月半分に相当します。
当時のお金を現在の日本円に正確に換算することはできませんが、裕福な海軍官僚の年俸の約3割という比較から、決して小さな金額ではなかったことがわかります。
しかし、チャールズ2世の宮廷では、その100ポンドがサイコロ遊びの勝敗で動いていました。
当時の人々にとって100ポンドは相当な大金でした。しかし、チャールズ2世をはじめとする王室の人々は、それほどの金額を賭けて勝負を楽しんでいたのです。
1661年10月1日のヨット競走で賭けられた100ポンドも、こうした王室の娯楽文化の中で理解することができます。それまで競馬や遊戯などで親しまれていた、勝敗にお金を賭けるという楽しみが、ヨットにも広がったのです。
グリニッジからグレーヴズエンドへ
1661年10月1日、チャールズ2世(Charles II)と弟のヨーク公ジェームズ(James, Duke of York)が、それぞれのヨットを走らせる競争が始まりました。
出発地点となったのは、ロンドン南東部のテムズ川沿いにあるグリニッジ(Greenwich)です。そこから下流のグレーヴズエンド(Gravesend)まで進み、再びグリニッジへ戻る往復の競走でした。
この日の様子は、国王に同行していた英国の文筆家ジョン・イーヴリン(John Evelyn)が日記に詳しく記録しています。
競走は、『国王のキャサリン(Katherine)とヨーク公のアン(Anne)によって行われた。グリニッジからグレーヴズエンドへ向かう往路では、風向きが航行に適していなかった。ヨットは向かい風の中を進まなければならず、両艇の速さだけでなく、帆の扱いや操船の違いも結果に影響したと考えられる。この往路で先着したのは、ヨーク公のアンだった。国王のキャサリンは敗れ、チャールズ2世は最初の勝負を落とすことになった』
しかし、競走はこれで終わりではありませんでした。グレーヴズエンドからグリニッジへ戻る復路では、今度は国王のキャサリンが挽回します。
イーヴリンは、国王が帰路で賭け金を取り戻したことを記録しています。
つまり、往路では弟が勝ち、復路では国王が勝負を取り戻すという展開になったのです。さらに興味深いのは、チャールズ2世が船に乗って勝敗を見守っていただけではなかったことです。
イーヴリンの記録によれば、国王は航行中に自ら舵を取ることもあったと記されています。
当時のヨットには船を操る乗組員がいましたが、チャールズ2世は操船をすべて任せきりにしていたわけではなく、自ら舵を握り、ヨットを走らせることにも関わっていたのです。
この日の競走は、国王と弟がそれぞれの船の性能を比較するだけでなく、実際にヨットを走らせ、その勝敗を楽しむ出来事でした。
国王とともにヨットで過ごした一日
1661年10月1日、英国王チャールズ2世(Charles II)と弟のヨーク公ジェームズ(James, Duke of York)がヨットの速さを競った日、船上には王室に近い貴族たちの姿もありました。
その一人が、英国の文筆家ジョン・イーヴリン(John Evelyn)です。
イーヴリンは、この日の様子を日記に次のように書き残しています。
There were divers noble persons and lords on board, his Majesty sometimes steering himself. His barge and kitchen boat attended.
(さまざまな貴族や諸侯が乗船しており、国王陛下はときおり自ら舵を取られた。国王のバージと厨房船も同行していた。)
国王が自ら舵を握るという記録も興味深いものですが、ここに登場するバージと厨房船も、当時のヨットの使われ方を知る手がかりになります。
バージ(barge)は、櫂で進む船で、国王や随行者を運ぶためにも使われたものです。
17世紀のテムズ川には、現在のヨットハーバーのような設備はありません。岸辺には浅瀬も多く、風と潮流に左右される帆走ヨットを岸へ横付けするのは容易ではありませんでした。
ヨットは川の中に停泊させ、岸との往来には櫂で進むバージを使う。現代の大型ヨットが沖にアンカリングし、ディンギーで上陸するのと基本的には同じです。
厨房船は、食事を準備するための設備を備えた船です。国王のヨットには、こうした船まで同行していたのです。
イーヴリンの日記には、国王とともに食事をしたときの様子も残されています。
I brake fast this morning with the King at return in his smaller vessel, he being pleased to take me and only four more, who were noblemen, with him; but dined in his yacht, where we all ate together with his Majesty.
(帰路、私は国王の小さな船で陛下と朝食をともにした。陛下は私と、ほかにわずか4人の貴族だけを同乗させてくださった。昼食は国王のヨットでとり、私たちは皆、陛下とともに食事をした。)
国王は帰路、小さな船にイーヴリンと4人の貴族を招き、朝食をともにしています。そして昼食はヨットに移り、国王を交えた一同で食事を楽しんでいます。
しかも、この日の船上では、単に食事をしていたわけではありません。
イーヴリンは、国王と交わした会話についても詳しく記録しています。
In this passage he was pleased to discourse to me about my book inveighing against the nuisance of the smoke of London
(この航行中、国王陛下は、ロンドンの煙による害を批判した私の著書について、私にお話しくださった。)
イーヴリンが話題にしているのは、ロンドンの煙害を論じた著書『フミフギウム(Fumifugium)』です。石炭を燃やすことで発生する煙が都市の環境を悪化させていると指摘し、その改善を提案したものでした。
国王はその改善に強い関心を示し、次の議会に向けて法案を準備するようイーヴリンに命じています。さらに庭園や建築の改良についても語り、ロンドン塔付近で起きたフランスとスペインの大使の争いについて、報告書を作成するよう指示しています。
ヨットの上で国王と食事をし、都市の環境問題から外交上の事件まで話し合う。17世紀の英国王室では、船上がこうした交流の場にもなっていたことがわかります。
そして、この日のチャールズ2世は、貴族たちと食事や会話を楽しむだけでなく、自ら舵を握り、弟とのヨット競走にも熱中しています。
ヨットに乗り、ヨットを走らせ、ヨットで過ごす。
1661年10月1日のイーヴリンの日記には、ヨットが単なる移動手段ではなく、乗っている時間そのものを楽しむ船へと変わっていく様子が、生き生きと残されているのです。
最後に…
1661年10月1日、テムズ川で行われたチャールズ2世と弟ジェームズによるヨット競走。100ポンドという大金を賭け、グリニッジからグレーヴズエンドまでを往復する。国王自らが舵を握り、弟のヨットと速さを競うという、当時の王室ならではの出来事でした。
実は、この競走は、英国における最初のヨットレースとして紹介されることがあります。
もちろん、それ以前にも帆船同士が速さを競うことはあったでしょう。しかし、英国初のヨットを用いて決められたコースで勝敗を争い、その様子が同時代の記録として残されているという点で、1661年10月1日の競走は特別な意味を持っています。
ヨット史の研究書でも、この出来事は英国における最初期のヨットレースとして位置づけられています。
興味深いのは、オランダからヨットのメアリー(Mary)が英国王室に贈られたのが1660年で、翌1661年には英国でキャサリンとアンが建造され、同じ年の秋には早くもその2隻が速さを競っていたということです。
ヨットは、国王や王族が船上で快適に過ごすための船として英国内に広まり始めました。そして、間もなく、その速さを競うという新しい楽しみ方が加わったのです。
現在のヨットレースのような競技規則もヨットクラブも、まだ存在しない時代です。それでも、同じ水面を走る2隻のヨットを見れば、どちらが速いのか競わせたくなる。
そんなヨット乗りの気持ちは、360年以上前の英国王室でも変わらなかったのかもしれません。
1661年のテムズ川で行われた国王兄弟の競走は、英国におけるヨットレースの歴史を語るうえで、忘れることのできない出来事となったのです。




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