11. 数学者たちが挑んだヨット造り

ヨットはどう変わってきた

1661年10月、英国王チャールズ2世と弟のヨーク公ジェームズは、それぞれのヨットで100ポンドを賭けた競走を行いました。

実は、当時のテムズ川では、船の速さを競うこと自体は珍しいものではありませんでした。川を行き交う船頭たちには競走の文化があり、賭けを伴う手漕ぎ船の競走も行われていました。1661年5月には、海軍行政官サミュエル・ピープスも、テムズ川で行われた賭けレースを見物しようとしたことを日記に残しています。

こうした競走文化が存在する英国で、国王とその弟が、今度は新たに造ったヨットで速さを競ったのです。そして、この競走が行われた頃、英国王室にはオランダからもう一隻のヨットが届いていました。それは、これまで英国で造られた王室ヨットとは、少し趣の異なる船でした。

※文章中で重さの単位である「トン」が使われていますが、この記事では当時の船体の容積を示す単位として用いられています。

ヨット用語「ビルジ」の意味と単位「トン」との関係
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もう一隻のオランダからの贈り物

1660年にヤハト『メアリー』がオランダから贈られてきた翌年の1661年、チャールズ2世のもとに新たな小型帆船がオランダから届けられました。

それは、オランダで「ベザン(bezaan)」と呼ばれていた種類の船でした。

ベザンとは、もともとミズンセイルを意味するオランダ語です。ミズンセイルは、現在のケッチやヨールにも見られる、船尾側のマストに張る帆のことを指し、大型船のミズンのような艤装を持った小型船ということから、べザンと呼ばれるようになったと考えられています。

17世紀のオランダでは、スプリットセイル(マストから斜め上方に伸びる「スプリット(sprit)」という桁で帆の後ろ側上部の角を押し上げるように支える縦帆及び艤装)から発展したガフリグの原型である「ベザン帆装」が小型帆船には使われるようになりました。ガフリグは、台形セイルの上辺をガフ、下辺をブームで支える縦帆式の艤装です。

下の絵はオランダの港に係留されている、手前側が Bezan (ベザン: 17〜18世紀にオランダで使われていた、小型の1本マスト「ベザン帆」を持つタイプ)と 奥側が Galjoot(ガリョート船 / ガリオット船: 主にオランダやバルト海で使われていた、丸みのある船体が特徴の沿岸交易用の中型帆船)です。参考までに、絵の Galjoot の艤装は、スプリットセイルです。

チャールズ2世に贈られた小型帆船は、英国ではそのまま「ベザン(Bezan)」という船名で呼ばれるようになります。前年にアムステルダム市から贈られたメアリーが約100トンの大型船だったのに対し、ベザンは35トンほどの小型船でした。

記録に残る寸法は、全長34フィート(約10.4メートル)、船幅14フィート(約4.3メートル)、喫水3フィート6インチ(約1.1メートル)です。船体の深さは7フィート(約2.1メートル)とされています。全長に対して船幅がかなり広く、喫水が浅いことが特徴です。現代の一般的なセーリングクルーザーとは、ずいぶん異なる船体の比率を持っていました。

当時のオランダには、幅の広い船体と浅い喫水を特徴とする「ボイエル(boeier)」と呼ばれる小型帆船がありました。船体の両舷にリーボードを備え、浅い水域でも横流れを抑えながら帆走できる構造です。ベザンも、このボイエルに近い船型だったのではないかと考えられています。

ベザンが英国に到着した正確な時期は定かではありませんが、1661年9月中旬には既に英国王室の船として使われていたと考えられ、9月14日の海軍行政官サミュエル・ピープスの日記には、テムズ川で英国王室の4隻のヨットを見物したことが記されています。

4隻の内訳は英国製2隻とオランダ製2隻と記されていて、オランダから贈られたメアリーとベザンに、英国で建造されたキャサリンとアンが加わり、王室には4隻のヨットが揃っていたのです。

小型ヨットを英国でも造る

1661年にオランダからベザンが贈られた後、英国では、この小型帆船を参考にした新しいヨットの建造が進められました。

英国でべザンを手本に新たに造られたのは、「チャールズ(Charles)」と「ジェミー(Jemmy)」という2隻の小型ヨットです。チャールズはロンドン東部、テムズ川沿いのウーリッジで建造され、約38トンの船でした。ベザンの35トンとほぼ同じ規模です。ジェミーはロンドン中心部から少し上流に位置するランベスで建造されました。こちらは約25トンと、チャールズよりもさらに小さなヨットでした。

ジェミーの記録に残る寸法は、キール長31フィート(約9.4メートル)、船幅12フィート6インチ(約3.8メートル)、喫水3フィート6インチ(約1.1メートル)です。

ベザンと比較すると、ジェミーも船幅に対して喫水の浅い船だったことがわかります。なお、記録に残る船体の長さは、ベザンが全長34フィート、ジェミーがキール長31フィートと、測定箇所が異なり正確な長さの比較はできませんが、容積から見るとべザンの方が大きい事がわかります。ヨット史の研究書『British Yachts and Yachtsmen』では、これら2隻を、オランダから贈られたベザンを改良しようとした英国製の小型ヨットとして紹介しています。

このように、英国王室のヨット造りは、メアリーを参考にした大型船だけでなく、ベザンに近い小型船へも広がっていったわけです。

造船に関心を持った英国の学識者たち

17世紀半ばの英国では、自然界の現象を観察し、実験や数学によって仕組みを解き明かそうとする動きが広がってきていました。

1660年には、ロンドンで自然哲学や数学などを研究する学識者たちが集まり、後の英国王立協会(Royal Society)につながる組織が生まれます。チャールズ2世もこうした学問の活動に関心を示し、1662年には王室の勅許を与えました。

この王立協会の初代会長に就任したのが、数学者のウィリアム・ブルンカー卿(William Brouncker)です。

ブルンカーは、数学の研究だけでなく、海軍の行政にも関わることになる人物でした。そして、国王チャールズ2世とともに、小型ヨットの設計にも関心を向けていました。

当時の造船は、長年の経験を持つ船大工や造船技師の知識に大きく依存していました。船体の幅や深さ、船首から船尾へ続く曲線などをどのように決めれば、速く、安定して帆走する船になるのか。こうした問題には、まだ確立された計算方法がありませんでした。

数学を使って船体の形を考えれば、経験だけに頼る造船とは違う結果が得られるのではないか。そんな試みが、王室の小型ヨット造りにも持ち込まれたのです。

1662年6月11日の王立協会の会合では、ペット家の人物が、国王のために建造しようとしている遊覧船の設計図を披露したという記録があります。ペット家は、英国王室の造船に長く関わってきた一族です。これまでの連載にも登場したピーター・ペットやクリストファー・ペットも、その一員でした。

この設計図が、後にランベスで建造されたジェミーのものだったかどうかは、はっきりしていません。ただ、国王のための小型船の設計が、造船所の内部だけでなく、学識者たちの集まる場でも話題になっていたことがわかります。

実際に、同年8月には、ブルンカーをはじめとする学識者たちが関わる新しい小型船が、テムズ川沿いのランベスで建造されていました。そこでは、従来とは異なる考え方で船体の形を決めようとする試みが進められていたのです。

数学者たちが設計した小型ヨット

1662年8月13日、英国海軍の行政官サミュエル・ピープス(Samuel Pepys)は、王立造船所の責任者ピーター・ペット(Peter Pett)とともに、ロンドンのテムズ川南岸にあるランベスを訪れました。

そこで二人が見たのは、建造中の小さな遊覧船でした。ピープスは、この船について日記に次のように記しています。

「国王、ブルンカー卿、そしてロンドンの学識者たちによって、新しい船体線図に基づいて建造されている小さな遊覧船を見た。ペット氏はこれを大いに称賛しているが、実際にどのような結果になるかは、まもなくわかるだろう」

ここで注目したいのは、ピープスが「新しい船体線図(new lines)」と書いていることです。

船体線図とは、船体の形を側面、上面、断面などから表した図面です。船首から船尾にかけての水線の形や、各位置での船体断面などが、船の排水量や復原性、水の抵抗に関係します。

当時も船大工たちは船体の形を図面や型によって決めていました。しかし、ブルンカーらが試みていたのは、数学的な考え方を取り入れ、船体の形を従来とは異なる方法で決定することだったと考えられます。

ピープスの日記には、具体的な計算方法や船体設計の詳細までは記されていません。しかし、経験豊富な造船家であるピーター・ペットが、この新しい船を高く評価していたことは興味深い点です。数学的な考え方を取り入れた設計には、長年造船に携わってきたペットの目にも、期待を抱かせるものがあったのでしょう。

ペットは、国王のためにヨットを建造してきた人物でした。その彼が学識者たちの設計を称賛していたのですから、少なくとも建造中の船には、専門家の目を引く何かがあったのでしょう。

それから9日後の8月22日、日記作家で王立協会の活動にも参加していたジョン・イーヴリン(John Evelyn)も、ランベスの新しい船について記録を残しています。

イーヴリンはブルンカー卿と、王立協会の設立に関わったロバート・モレー卿(Sir Robert Moray)と食事をした後、ランベスで新しく設計された船について協議しました。

その目的を、イーヴリンは「造船という技術を、建築のほかの分野と同じように、確かな方法に基づくものにすること」と記しています。

これは、単に速いヨットを1隻造ろうという話ではありません。熟練した船大工の経験に依存していた船型設計を、理論によって説明し、再現できる技術へと発展させようとする試みだったことがここからうかがえます。

そして、このランベスでの試みは、まもなく実際の帆走によって試されることになります。

新造小型ヨットとべザンの競走

1662年9月5日の早朝、英国海軍の行政官サミュエル・ピープス(Samuel Pepys)は、テムズ川を下ってロンドン東部のウーリッジ王立造船所へ向かっていました。午前5時に起きて出発したピープスは、その途中で興味深い光景を目にします。

グリニッジから2隻の小型ヨットが出航し、速さを競おうとしていたのです。

1隻は、前年にオランダから贈られたベザン(Bezan)。もう1隻は、国王チャールズ2世と数学者ウィリアム・ブルンカー卿らが関わり、ピーター・ペットの協力を得て建造された英国製の新しい小型ヨットでした。この英国製小型ヨットが、ランベスで建造されたジェミー(Jemmy)です。

ピープスは、この日の出来事を次のように記録しています。

「ブルンカー卿ら学識者たちが、ペット長官の協力も得て最近建造したヨットが、小さなオランダ製ベザンと速さを競うため、グリニッジから出航するのを見た。ウーリッジに着く前に、オランダ艇は半マイルの差をつけて勝っていた。午後には、帰路ではその差が3マイル以上になったと聞いた」

ピープスが実際に目撃したのは、ウーリッジに到着するまでの競走でした。帰路については、午後になって聞いた話を日記に書き残しています。

この日の競走では、オランダ製ベザンが英国製ジェミーを大きく引き離しました。両艇の大きさは近いものの、船型や帆装には違いがあったと考えられます。競走当日の風や潮流、セイルの状態など、詳しい条件は伝わっていませんが、少なくともこの日の速さではベザンが圧倒していたようです。

ここで興味深いのは、ピープスが日記の最後に付け加えた言葉です。

「我々の仲間は皆、それを喜んでいる」

英国製の新しいヨットが敗れたというのに、海軍関係者たちは喜んでいたのです。

ジェミーの建造には、国王やブルンカー卿をはじめとする学識者たちが深く関わっていました。数学的な考え方を造船に取り入れようとする試みは、経験を重ねてきた造船家たちにとって、どのように映っていたのでしょうか。海軍関係者たちの喜びには、学識者主導の新しい設計に対する複雑な思いが表れていたのかもしれません。

1660年にオランダから贈られたメアリーをきっかけに、英国では独自の王室ヨットが建造されました。そして今度は、小型のベザンに対して、数学者たちも関わったジェミーが挑戦しました。

結果は、再びオランダ製ヨットの勝利でした。

この出来事から見えてくることは、当時は未だ造波抵抗について解明されていなかったようです。全く同じ水線長の船を使っていたら、結果は変わっていたかもしれませんね。

最後に…敗れたジェミーのその後

競走に敗れたジェミー(Jemmy)ですが、この一度の敗北で役目を終えたわけではありません。

翌1663年2月2日、英国海軍の行政官サミュエル・ピープス(Samuel Pepys)の日記に、ジェミーが再び登場します。この日、ピープスはジェミーについて、国王チャールズ2世と学識者たちが建造したヨットであることに触れています。

前年の競走ではオランダ製ベザンに大きく引き離されましたが、ジェミーはその後も王室のヨットとして存在していました。

ここで注目したいのは、ジェミーが単なる遊覧船ではなく、国王自身が新しい船型の研究に関わったヨットだったということです。

ジェミーの建造は、熟練した船大工の経験に頼っていた造船に、数学的な考え方を取り入れる新しい試みでした。競走では敗れたものの、国王と学識者たちが実際に船を造り、その性能を試したことは、英国の造船技術にとって興味深い一歩だったといえるでしょう。

しかし、ジェミーについては、競走の敗北だけではわからない、もう一つの姿が記録されています。

1663年3月2日、ピープスはピーター・ペットとともにデプトフォードからジェミーに乗り込み、ウーリッジへ向かいました。さらに川を4〜5マイル(約6〜8キロメートル)下り、帆走を楽しんでいます。

この日は天候に恵まれ、気持ちのよい風も吹いて、ピープスは船旅を大いに楽しんだと日記に書いています。船上では採れたての牡蠣を味わい、通りかかったオランダ船からチーズを買うという、のどかな場面もありました。

競走ではベザンに敗れたジェミーも、こうしてテムズ川を帆走するプレジャー目的のヨットとして使われていたのです。

数学者たちの挑戦が成功だったのか、失敗だったのか。その評価は速さだけで決まるものではなかったのでしょう。ジェミーは、ヨットの設計に新しい考え方が持ち込まれた時代を物語る一隻となったのでした。

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