14. 広がり始めたヨットの楽しみ

ヨットはどう変わってきた

休日になると、友人たちを誘ってヨットに乗り、テムズ川を下って海へ出る。船上では食事を楽しみ、風がよければ他の船と速さを競い、ときには数日間の航海に出かける。

こんなヨットの楽しみ方は、いつ頃から始まったのかを調べてみると、17世紀後半の英国には、既にこのような休日を過ごしていた人々がいました。

もっとも、当時のヨットは誰でも気軽に所有できる船ではありません。船を持ち、維持し、航海に出るには相応の資力や人手が必要でした。それでも、国王や王族だけの楽しみだったヨットは、王室と関係する人々の間にも広がり、やがて自分たちの船で友人や家族と航海を楽しむ人々が現れます。

今回は、17世紀後半の英国で、ヨットがどのような人々に楽しまれるようになっていったのかを書いてみたいと思います。

王室のヨットで楽しむ人々

1670年4月21日、英国王室の様子を伝える記録に、少し興味深い話が登場します。国王チャールズ2世の妃、キャサリン・オブ・ブラガンザが、宮廷の女性たちとテムズ川で頻繁に船遊びを楽しんでいたというのです。

当時の報告には、次のように書かれています。

“Her Majesty gives life to all by frequent divertisement upon the river, in her new vessel the Sodalis.”

(王妃陛下は新しい船 Sodalis で頻繁に川遊びを楽しみ、周囲の人々を活気づけている。)

この Sodalisは、王妃のために建造されたヨット Saudadoes のことです。

1670年、ポーツマス王立造船所で造船技師アンソニー・ディーンによって建造された船で、6門の大砲を備えていました。王妃は同年4月14日に進水式を行い、自ら船に名前を付け、大砲を一発撃って祝ったと記録されています。

王妃は、この新しいヨットでの遊覧を、ずいぶん気に入っていたようです。同じ4月21日の報告には、宮廷の女性たちが何度も長い航海に出かけ、食料が足りなくなると、テムズ川沿いのヴォクソールやランベス宮殿に立ち寄って補給していたことまで書かれています。

船に乗って川を下り、途中で食料を調達しながら遊覧を続ける。まるで現代のヨットで休日を過ごすような光景です。もちろん、当時の王室ヨットには船長や水夫が乗り込み、航海を担当していました。王妃や宮廷女性たちは、そうした乗組員に船を任せ、船上で過ごす時間を楽しんでいたのでしょう。

興味深いのは、こうした船遊びが国王の同乗することなく、王妃と宮廷の女性たちによって繰り返し行われていたことです。ヨットで川を下り、景色を眺め、船上で仲間と時間を過ごす。国王が楽しんでいたヨットでの過ごし方は、王妃や宮廷の女性たちにも親しまれるようになっていました。

さらに、この時代には王室と関係の深い貴族や海軍行政官もヨットを利用しており、やがて自分たちのヨットを持ち、家族や友人と航海を楽しむ人々も現れます。

貴族たちがヨットを持ち始める

1668年9月、英国王室と深い関係を持つリッチモンド公爵チャールズ・ステュアートは、自分が所有するヨット Lennox を国王の任務に提供することになりました。9月8日には、海軍行政官のサミュエル・ピープスが公爵からこのヨットについて2通の手紙を受け取っています。また、翌日には公爵に呼ばれてホワイトホールの宿舎を訪れ、ヨットについて直接話し合いました。さらに、9月18日には Lennox に10人の水夫を配置するよう命じた海軍文書が残されています。フランス方面から到着する船舶の検疫に使用される予定でした。

興味深いのは、1668年の時点で、リッチモンド公爵が国王の任務に提供できるヨットを自ら所有していたことです。この記録から、この頃にはヨットの所有が王族以外の家族にまで広がっていたことがわかります。そして、こうした貴族のヨットは Lennox だけではありません。

1675年には、後に第2代リーズ公爵となるペレグリン・オズボーンが所有していた Sophia というヨットの記録も登場します。当時まだ15歳ほどだったオズボーンは、父親がチャールズ2世の政権で重要な役職を務めていたこともあり、王室と深い関係を持つ家庭で育ちました。1675年9月には、父親のトマス・オズボーンが、息子のヨット Sophia のために武装を手配した記録が残っています。若い貴族が自分のヨットを持っていたという事実から、ヨットが国王や王族だけの船ではなくなっていたことがわかります。更にオズボーンとヨットの関係は、その後も続きます。

1686年には、彼のヨットがノーサンバーランド公爵ジョージ・フィッツロイの妻を運ぶために使われた記録があり、1698年には英国を訪れたロシア皇帝ピョートル1世とヨットで交流しています。つまり、オズボーンにとってヨットは若い頃だけの一時的な趣味ではなく、長年にわたって身近な船だったことになります。

こうした貴族たちのヨットは、王室の船とは別に所有されながらも、王室や宮廷の人々との交流に利用されていたようです。

国王がヨットを楽しんでいた時代から数十年のうちに、王室と関係の深い貴族たちも自分のヨットを持ち、それぞれの人間関係の中で利用するようになっていたのです。

17世紀には始まっていたヨットライフ

17世紀後半の英国には、仕事の合間に友人を誘ってヨットに乗り、数日間の航海を楽しんでいた法律家がいました。その人物は、ロンドンで法律家として活動していたロジャー・ノースです。

ノースはセーリングに強い関心を持っていました。彼の、自伝には、法律家仲間のジョン・ウィンダムに相談したところ、ウィンダムが自分で建造したヨットを譲ってくれたと書かれています。ノースはそのヨットをテムズ川に4年間置き、セーリングを楽しんだそうです。

船は小型でしたが、マストの後方にはキャビンと寝室があり、船首側には調理場まで備えていました。船首には小さな煙突もあり、船内で食事を作ることができました。帆装はブーム付きのメインセイルに、ステイフォアセイルとジブを組み合わせたものです。シート類は船尾側で操作できるようになっており、風上へ帆走するとき、波しぶきを浴びながら船首へ出る必要がないことを、ノースは評価しています。さらに、鋳造した鉛をバラストとして積んでいました。

ノースによれば、外海での耐航性には不安があったものの、川ではよく帆走し、特にタッキングの性能が優れていたそうです。当時のテムズ川には、漁船のスマックや貨物船のホイが数多く行き交っていました。ノースは、そうした船と速さを競うことも楽しみにしていました。直線的な帆走では相手にかなわなくても、風上へ向かってタッキングを繰り返す場面では、自分のヨットの方が有利だったと書いています。

ノースが好んだのは、春と秋の航海でした。夏は暑いうえに風が弱いことが多く、帆走を楽しむにはあまり向いていなかったようです。時間があるときには、テムズ川を下ってグレーブゼンドやシアネスまで、5〜6日ほどの航海に出かけました。午後だけの短い船遊びなら、潮の具合に合わせてロンドン市内の船着き場へヨットを回してもらうこともできました。しかし、いつも順調な航海ばかりではありません。あるとき、ノースは高等法院で働く法律家仲間を誘い、ヨットで出かけます。ところが、その船は暑い時期に長く係留され、船体上部の板の継ぎ目が開いていました。出航して船がヒールすると、継ぎ目から水が入り始め、キャビンにいた仲間たちは、最初のうちは浸水に気づきませんでしたが、気づいたときには、すでに膝近くまで水がたまっていたそうです。一同は慌ててボートを呼んで上陸し、ヨットは沈没を防ぐために岸へ乗り上げました。ノースはこの出来事を、後になって仲間たちと大笑いした思い出として書き残しています。

楽しい航海の記録もあります。

サフォーク方面へ向かった航海では、友人のチュートと一緒にマストの前のハッチ付近に座り、望遠鏡や本を手に、食事やお茶、チョコレートを楽しみながら過ごしました。涼しい風が吹き、空気は澄み、仕事に追われることもない。二人はそこで8時間を過ごし、時間がたつのも忘れていたといいます。

ノースは、その時間について次のように振り返っています。

“we came nearer to a perfection of life there”(あの場所では、人生の理想にこれまでになく近づいたように感じた。)

これらは、王室の行事でも、国王に招かれた航海でもありません。自分のヨットで、気の合う仲間と海へ出る。風を読み、帆を操り、ときには他の船と速さを競い、船上で食事を楽しむ。

17世紀後半の英国には、すでに現代のヨットライフと同じようなヨットの楽しみ方をする人が居たことがわかります。

海を楽しみ続けたウィンダム大佐

1683年8月16日、英国南部のワイト島沖に停泊していた艦隊に、ヨットから数人の訪問客がやって来ました。その中にいたのが、フランシス・ウィンダム大佐です。

このとき艦隊に同行していた海軍行政官のサミュエル・ピープスは、ウィンダム大佐と友人たちがヨットから訪ねてきたことを記録しています。ピープスは、国王の命令で北アフリカのタンジールへ向かう艦隊に乗っていました。タンジールは、英国が1662年から支配していた地中海沿岸の港湾都市です。この記録で興味深いのは、ピープスがウィンダム大佐について、わざわざ次のような感想を書き残していることです。

“Colonel Wyndham is the only gentleman of State ever known to addict himself to the sea for pleasure and from his own natural addiction.”(ウィンダム大佐は、ただ海が好きだからという理由で、楽しみのために海へ出ることに熱中している、私の知る唯一の高位の人物である。)

ピープスは、ウィンダム大佐が仕事や公務のためではなく、自分自身の楽しみとして海に出ていることに注目していたようです。実は、ウィンダム大佐の名前は、これより18年も前のピープスの日記にも登場しています。1665年11月16日、ピープスは艦隊へ向かうため、ウィンダム大佐と宮廷に仕えるジョン・アッシュバーナムが乗っていたプレジャーボートを使わせてもらいました。この船は、ピープス自身も利用していた王室のヨット Bezan だったと考えられています。

つまり、1665年には王室のヨットに乗っていたウィンダム大佐が、1683年には自分のヨットで友人たちと海へ出ていたことになります。ピープスが1683年に残した言葉からは、ウィンダム大佐が海へ出ることを心から楽しんでいた様子が伝わってきます。

ヨットを持つことが身分や財力の象徴であるだけでなく、海に出ることそのものを楽しむ人々が、王室の周辺に現れ始めていたのです。

最後に…

今回の記事を書くにあたって調べていて、ひとつ興味深く感じたことがあります。

それは、ヨットを楽しむ人々が王室の外にも現れただけでなく、楽しみ方そのものが、次第に個人の生活の中に入り込んでいたことです。

国王や王妃がヨットで過ごす時間を楽しんでいた時代に、貴族たちも自分のヨットを持つようになり、そして法律家のロジャー・ノースの記録には、仕事の合間に友人を誘って出航し、数日間の航海を楽しむ姿も残されています。

王室や貴族が楽しんでいたヨットは、やがて個人が友人たちと航海を楽しむためにも使われるようになっていました。

ロジャー・ノースの記録が興味深いのは、ヨットを所有していたという事実だけでなく、仕事の合間に仲間を誘い、自分たちの楽しみとして航海に出かけていたことです。そこには、現代の私たちにも通じるヨットライフの姿があります。自分たちでヨットを持ち、自分たちの都合で海へ出る。そんな楽しみ方が、王室の行事とは関係のないところでも行われるようになっていたことです。

もっとも、当時のヨットは誰でも所有できるものではなく、楽しんでいた人々も限られた階層に属していました。それでも、17世紀後半の英国には、現代の私たちが考えるヨットライフにつながる姿が、すでに見えてきます。

ヨットが王室の特別な船から、個人が仲間と楽しむための船へと、広がっていったこと、それが今回の記録から読み取れるヨットの大きな変化ではないかと思うのです。

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