13. ヨットが王室から広がりはじめる

ヨットはどう変わってきた

1660年、オランダから英国へ贈られたMaryをきっかけに、チャールズ2世はKatherineやAnneを英国で建造させました。さらに、オランダから小型のBezanが贈られると、同じような大きさのJemmyも英国で造られます。そして、国王自身が帆走性能にこだわったHenriettaへと続きます。

ここまでの出来事は、チャールズ2世が王政復古によって英国へ戻ってから、わずか3年ほどの間に起こったことでした。

この時期のヨットは、まだ国王とその周辺の限られた人々が中心に使っているに過ぎませんでした。しかし、英国でヨットを造り、帆走を楽しむという新しい文化の始まりは、確かにここにありました。

では、その後も王室のヨットは増え続けたのでしょうか。そして、国王が夢中になったヨットの楽しみは、王室の外へどのように広がっていったのでしょうか。

今回は、王室ヨットのその後と、英国でヨットを楽しむ文化が広がり始めた時代を見ていきます。

王室ヨットはどこまで増えたのか

1663年に Henrietta が建造された後、1665年には第二次英蘭戦争が始まり、英国海軍はオランダとの戦争に向かっていました。しかし、ヨットの建造が終わりませんでした。

1666年、ロンドン東部のテムズ川沿いにあるロザーハイズで、2隻の新しい王室ヨットが建造されます。1隻は造船家ウィリアム・キャッスルが手がけた Monmouth です。キール長52フィート(約15.8m)、船幅19フィート6インチ(約5.9m)、喫水7フィート3インチ(約2.2m)、積量103トン。乗員30人、8門の砲を備えていました。そして、もう1隻は同じロザーハイズで造船家ジョナス・シッシュが建造した Merlin です。キール長53フィート(約16.2m)、船幅19フィート6インチ(約5.9m)、喫水7フィート4インチ(約2.2m)、積量109トンで、乗員30人、砲8門という構成でした。

両艇は、3年前に建造された Henrietta と非常によく似た大きさです。Henrietta もキール長52フィート、積量104トン、乗員30人、砲8門でした。このことから、王室では100トン前後のヨットが、ゲストを迎えながら沿岸を航海する船として、使いやすい規模だと考えられていたのかもしれません。Merlin と Monmouth は、その後も長く使われ、1680年代には英国沿岸の海図を作成するための測量船としても活躍しました。1660年代の王室ヨットは、遊覧や王族の移動に使われる一方、必要に応じて海軍の仕事にも利用されていたのです。

その後、1670年には同じロザーハイズで、キャッスルによって103トンの Kitchin が建造されました。

また、王妃キャサリン・オブ・ブラガンザのためには、造船家アンソニー・ディーンがポーツマスで Saudadoes を建造しています。キール長74フィート(約22.6m)、船幅21フィート6インチ(約6.6m)、喫水9フィート6インチ(約2.9m)、積量180トンという、当時の王室ヨットの中でも大型の船でした。乗員は75人、砲16門を備えていました。王妃はこの船を利用してテムズ川での遊覧を楽しんでいたと伝えられています。

1671年には、チャタム王立造船所で造船家フィニアス・ペットが29トンのQueenborough を建造しました。同じ年、ポーツマスではアンソニー・ディーンが107トンの Cleveland を建造しています。

1673年には、ウーリッジで28トンの Deal、ポーツマスでは25トンの Isle of Wight が建造されました。

こうして見ていくと、王室ヨットは単純に大型化していったわけではありません。180トンの Saudadoes のように、多くの人を乗せられる大型艇がある一方、25〜30トンほどの小型艇も建造されていました。目的に応じて、異なる大きさのヨットが使い分けられていたと考えられます。

1674年には135トンの新しい Katherine と133トンの Portsmouth が建造され、1675年には120トンの Charles が加わります。

1677年には142トンの Charlot と166トンの Mary、1679年には162トンの Henrietta が建造されました。

MaryやHenriettaという名前が再び登場しますが、この2隻は以前の船を改造したものではなく、新しく建造されたヨットです。1660年にオランダから贈られた最初の Mary は1675年に英国西部のホリーヘッド沖で失われ、最初の Henrietta も1673年のオランダとの戦闘で沈没しています。

1680年には52トンの Isabella Bezan、1682年には148トンの Fubbs、1683年には114トンの Isabella も加わりました。

こうして、チャールズ2世が在位した1660年から1685年までの25年間に、王室が所有・運用したヨットは累計で25隻に達したとされています。もちろん、25隻が同時に存在したわけではなく、古い船の退役や喪失、新しい船への代替も含めた数字です。それでも、最初の Mary がオランダから英国へ渡ってから四半世紀の間に、王室では小型艇から180トン級の大型艇まで、さまざまな規模のヨットが建造されるようになりました。しかも、それらを建造したのは一つの造船所ではありません。ロザーハイズ、ウーリッジ、チャタム、ポーツマスなど、英国各地の造船所で新しいヨットが造られ続けていたのです。

王室以外にも広がり始めたヨットの楽しみ

王室でヨットの建造が続く中、国王の周囲にいた人々も、ヨットでの航海を楽しむようになっていきました。その様子を伝えているのが、英国の海軍行政官サミュエル・ピープスの日記です。

1663年9月3日、海軍行政官のウィリアム・バッテンは、妻や同行者とともにヨットCharlotteで遊覧航海に出かけました。目的地は、英国南東部のドーバー海峡にある停泊地ダウンズです。

ピープスは、この航海の目的を “for pleasure”(楽しみのため)と記しています。ピープス自身もロンドン東部のグリニッジまで同行し、Charlotteに乗り込みました。しかし、風が強く、船の揺れも大きかったため、バッテン夫人は船酔いに苦しむことになります。結局、夫人は途中のクイーンバラで下船し、もう二度と海には出ないと言ったそうです。船酔いで予定を変更するという、現在のヨットでもありそうな出来事ですが、ここで注目したいのは、王族ではない人物が家族や同行者とともに、楽しみのためにヨットで航海に出かけていたことです。

さらに1668年には、チャールズ2世の宮廷に仕えたリッチモンド公爵チャールズ・スチュアートが、Lennox というヨットを所有していた記録が残っています。

この船は国王に貸し出されることもあり、1668年9月には国王が乗員10人を配置するよう命じています。1672年には、公爵自身が海軍行政官ピープスに手紙を送り、Lennox の船体を約6フィート延長してほしいと依頼しました。波の高い海で十分な性能を発揮しないことが、その理由でした。

Lennox は遊覧専用の船ではありませんでしたが、公爵が自分の船の帆走性能に関心を持ち、改造まで求めていたことがわかります。

1675年には、チャールズ2世政権の有力大臣トマス・オズボーンの息子、ダンブレーン子爵ペレグリン・オズボーンが、Sophiaというヨットを所有していました。当時15歳だった彼のヨットには、政府の兵器局から小型の青銅砲6門が貸与されています。Sophiaがどのような航海に使われたかはわかっていませんが、若い貴族が自分のヨットを持ち、その装備にまで父親が関わっていたことは、王室周辺でヨットへの関心が広がっていたことを示しています。

このように、1660年代から1670年代にかけて、ヨットは国王だけのものではなくなっていきました。

王室の船を利用して航海を楽しむ人が現れ、さらに貴族たちが自分のヨットを持つようになっていたのです。

自分のヨットで航海を楽しむ人々

王室や貴族の周辺だけでなく、自分のヨットを使って航海そのものを楽しむ人々も現れていました。その様子を詳しく伝えているのが、英国の法律家ロジャー・ノースの自伝です。

ノースは、知人のジョン・ウィンダムからヨットを譲り受け、テムズ川での航海を楽しんでいました。ウィンダムは自らヨットを建造させた人物で、ノースはその船を引き継いだことになります。ノースの記述で興味深いのは、船の構造や帆装について具体的に説明していることです。

このヨットには、ブームを備えたメインセイルに加え、ステイセイルとジブがありました。船内にはキャビンと調理設備も備えられ、船員は大人と少年の2人でした。

王室の100トン級ヨットとは異なり、少人数で扱える船だったことがうかがえます。ノースはこの船を約4年間使い、テムズ川を中心に航海を楽しみました。航海中には、川を行き交う商船と速さを競うこともあったと記しています。相手は同じようなヨットではありませんでしたが、自分の船がどれほど速く走るのかを試すことも、楽しみの一つだったのでしょう。ここには、国王のヨットとは少し異なる楽しみ方が見えてきます。自分の船を持ち、少人数の乗員とともに出航し、船の走りを確かめながら航海を楽しむ。現在のセーリングクルーザーにも通じる姿です。

ノースがヨットを所有した正確な時期は、自伝の記述だけでは特定できません。ただ、17世紀後半の英国では、王室の公式な活動とは別に、個人が自分のヨットで帆走を楽しむ例が存在していたことがわかります。

ヨットは、王室が所有する特別な船というだけでなく、個人が自ら航海を楽しむための船にもなり始めていたのです。

最後に…

1660年にMaryがオランダから英国へ渡ってから、チャールズ2世が亡くなる1685年までの25年間に、王室では約25隻のヨットが所有・運用されたとされています。その間にヨットは、国王が自ら乗って楽しむ船から、王室の移動や遊覧、海軍の仕事にも利用される船へと用途を広げていきました。そして、王室の周囲にいた人々も、ヨットでの航海を楽しみ、自分の船を所有するようになっていきます。

特に興味深いのは、ヨットの楽しみ方そのものが広がっていったことです。家族や友人と航海に出かける人がいれば、自分の船の性能にこだわる人もいました。少人数で船を操り、ほかの船と速さを競うことを楽しむ人も現れています。

もちろん、当時のヨットは、まだ限られた人々だけが手にできるものでした。それでも、国王が英国へ持ち込んだヨットへの関心は、王室の外でも少しずつ形になり始めていたのです。

この時代に生まれた、自分の船を持ち、帆走そのものを楽しむという考え方は、その後の英国のヨット文化へとつながるのでした。

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