8. ペットが考えた英国版ヨット

ヨットはどう変わってきた

前回は、造船家のピーター・ペット(Peter Pett)が英国で造る初のヨットの Model を作り、チャールズ2世がそれを承認して建造が始まるところまでを追いました。

では、その Model から実際にはどのような船が生まれたのでしょう。

ペットはオランダに渡り自らの目でヤハトを見ています。しかし彼は、それまで英国でさまざまな船の建造に携わり、英国海軍で当時求められていた速く走る船についても、研究や経験を積んできた造船家でした。

そんなペットは、チャールズが求める「ヨット」という船に何が必要だと考えたのでしょうか。そして、オランダで見たヤハトと、それまで自らが培ってきた造船の経験をどのように結びつけ、一隻の船として完成させたのでしょうか。

今回は、出来上がった船の姿と残された記録を手掛かりに、ペットがどのように考え、どのような船を造ろうとしたのかを読み解いてゆきたいと思います。

ペットが造った英国初のヨット

1661年、デプトフォード王立造船所で、ピーター・ペットがチャールズ2世のために計画したヨットが完成しました。

キール長49フィート(約14.9m)、幅19フィート(約5.8m)、ホールドの深さ(17世紀英国の船舶計測では、一般に船体中央付近で、キール上面付近から上部の甲板までの船内深さを測った値)7フィート(約2.1m)、94トン。8門の砲を備え、乗員は30人とされています。

現在の感覚では、国王の船としてはずいぶん小さく感じますが、この船には王や貴族を乗せるための船室があり、それでいてチャールズ自身が舵を取って帆走を楽しめる船として造られていました。

実際、1661年1月15日には、建造中の船を見るためチャールズ自身が造船所を訪れています。英国海軍官僚であるピープス(Samuel Pepys)もその様子を記録し、この船を「とても美しい船になるだろう」と記しています。

そして完成した船の姿も残っています。ウィレム・ファン・デ・フェルデ(Willem van de Velde the Younger)が描いた船体画を見ると、大型の王室船をそのまま小さくしたような姿ではなく、船首から船尾まで低く長く見える船体に、船尾には王室ヨットらしい装飾と船室が設けられています。Royal Museums Greenwichには、この船を右舷側から描いた詳細な素描が残されています。

この船を見た英国の地主階級ジェントルマンで、王政復古後はチャールズ2世のもとで公職も務めたジョン・イヴリン(John Evelyn)が詳細に綴った日記で面白い言葉を残しています。

1661年10月1日、チャールズとともにヨットに乗ったイヴリンは、国王が新しく造らせたもう一隻のプレジャーボートについて、“built frigate-like” 「フリゲートのように造られた」と記しています。

当時のフリゲートと呼ばれる船は、速力や運動性を重視して発達していた軍艦でした。果たしてペットは、どんなヨットを造ろうとしたのでしょうか。

ヨットに何が求められていたのか

ペットがどのようなヨットを造ろうとしたのかを考えるには、まずチャールズがオランダで出会ったヤハトが、どのように使われていたのかを見る必要があります。

これまでの連載で見てきたヤハトは、単に小さくて速い船ではありませんでした。

チャールズはオランダ滞在中にヤハトに乗り、自ら舵を取って操船しています。船で目的地まで移動するだけではなく、船を走らせることそのものを楽しんでいました。

オランダから英国へ贈られた Mary でも、その性格は変わりません。

チャールズは自ら操船し、弟のヨーク公ジェームズをはじめとする人々を乗せて走らせています。船内では食事をすることもできました。

大型の王室船とは異なり、必要なときに気軽に乗り、自分で操船して楽しみ、人を乗せて移動し、船内で過ごすこともできる。ヤハトには、そうした使い勝手の良さがありました。

そして、Mary に実際に乗ったサミュエル・ピープス(Samuel Pepys)は、もう一つ興味深いことを日記に残しています。

1660年8月15日、ピープスは早朝にMaryを見に行き、船内を見て、以下のような日記を残しています。

“In the afternoon Commissioner Pett and I went on board the yacht, which indeed is one of the finest things that ever I saw for neatness and room in so small a vessel.”

「午後、ペット長官と私はヨットに乗った。それは実に、これほど小さな船でありながら、その整然とした造りと広さという点で、私がこれまで見た中でも最も素晴らしいものの一つだった。」

彼が印象に残したのは、単に豪華だったということではありません。小さな船なのに、船内は思った以上に広かった。ここは、ヨットという船を考えるうえで重要なポイントだったのではないかと思います。

小さければ扱いやすくなります。しかし、人を乗せ、船内で食事をしたり、ある程度の時間を快適に過ごしたりするには、それなりの空間が必要です。速く走ることだけを考え、大勢を運ぶために大きくすればよいというわけでもない、これまでに考えられなかったコンセプトを持った船だと言うことだったのでしょう。

このように、残された記録を辿って重ね合わせていくと、当時のヤハトに求められていたものが少しずつ見えてきます。

小さく、軽快で、自ら操船を楽しめること。人を乗せて移動でき、必要な船内空間があり、快適に過ごせること。

ペットは、オランダで実際のヤハトを目にし、チャールズがその船をどのように楽しんでいたのかも知っていたことでしょう。

英国でヨットを造ることになったペットが考えなければならなかったのは、単に「ヤハトと同じ形の船を英国でどう造るか」ではなく、チャールズが求めているものを理解し、それを自らの造船経験を使って、どのような「ヨット」として形にするかということだったはずです。

何故、同じくらいのサイズだったのか

ペットが造った国王のヨットは、94トンでした。

オランダから贈られたヤハトの Mary は100トンと記録されています。細かな測定方法や史料による数字の違いには注意が必要ですが、少なくとも両船がほぼ同じ規模だったことは確かです。Royal Museums GreenwichもMaryを100 tons burden(樽が100個分の容積)、幅18フィートとしています。

何故、ペットがこの大きさを選んだのか。それを直接説明した記録はないのですが、

ただ、チャールズがMaryを含んだヤハトのどこに魅力を感じ、実際にどのようにこの船を楽しんでいたのかを考えると、この100トン前後という大きさには意味があったように思えます。

Maryは、チャールズ自身が操船を楽しめるほどの小さな船でした。同時に、人を乗せて移動することができ、船内で食事をしたり、ある程度の時間を過ごしたりする空間もありました。

ピープスがMaryに乗って驚いたのも、まさにそこでした。これほど小さな船なのに、よく整えられ、十分な空間がある。しかも、そのMaryをペット自身もピープスと一緒に見ています。

船を大きくすれば、船内空間を確保するのは容易になります。しかし、それでは小さな船を自ら操り、軽快に走らせるという魅力から離れてしまいます。逆に小さくし過ぎれば、王やゲストを乗せて快適に過ごすための空間を確保することが難しくなります。小さく軽快でありながら、船内には人が快適に過ごせる空間を持つ。Maryは、その二つを100トンほどの船体で実現していました。

ペットが94トンというよく似たサイズを選んだ理由は、どこにも記されていません。ただ、出来上がった船がMaryとほぼ同じ規模だったことから、100トン前後という大きさには、ペットが考えたヨットにとって何らかの意味があったと考えることはできます。

ところが、ほぼ同じ大きさで造られた二隻を見比べると、その船の造りには大きな違いがありました。

2隻の決定的な違い

ほぼ100トンというよく似た大きさで造られた二隻ですが、その船の造りには大きな違いがありました。

Maryは、オランダの水域で発達してきた純粋のヤハトです。オランダには運河や湖、沼などの非常に浅い水域が多く、そこで使われる船にはできるだけ喫水を浅くすることが求められました。Maryも比較的浅く平らな船体を持ち、船体の両側には大きなリーボード(leeboard)が取り付けられていました。リーボードは、船が風により横方向へ流されるのを抑えるための板で、現代のヨットだとフィンキールやダガーボードに相当します。

しかし、浅い水域を走るために船底を深くできないオランダの船では、船体の外側に大きな板を下ろし、水中で横流れを抑える方法が発達しました。これがリーボードです。

Maryを描いた同時代の絵を見ると、このリーボードが船体の側面にはっきり確認できます。ところが、ペットが造った英国のヨットには、それが見当たりません。

この船についても、ウィレム・ファン・デ・フェルデ(Willem van de Velde)が船体を詳細に描いた素描が残っています。右舷側を描いたものだけでなく、反対側の姿を確認できる資料もありますが、どちらの舷側にもMaryにあるようなリーボードは確認できません。

少なくとも、Maryと同じようなリーボードを備えたオランダ型の浅底船を、そのまま再現した船ではなかったことが分かります。

これは英国で使う船であることを考えれば、不思議なことではありません。

オランダのヤハトが浅い船体とリーボードを必要としたのは、浅い水域を航行するという事情があったからです。英国で国王が使うヨットに、同じ条件がそのまま求められるわけではありません。

そして、もう一つ手掛かりがあります。

以前に紹介したジョン・イヴリンは、ペットが造ったこのヨットを、“built frigate-like”――「フリゲートのように造られた」と記しています。

つまり、ペットが造った船には、同時代の英国人が見てフリゲートを思い浮かべるような特徴があったことになります。

では、なぜペットは英国最初のヨットを、フリゲート(快速艦)のような船にしたのでしょうか。

その理由を考えるには、ペットがこのヨットを造る以前に、どのような船を造っていたのかを見る必要があります。

ペットは以前から「速い船」を造っていた

ペットが造ったヨットを、ジョン・イヴリンはなぜ「フリゲートのように造られた」と表現したのでしょうか。

その手掛かりになる船が、ヨットの建造より15年ほど前にありました。

コンスタント・ウォリック(Constant Warwick )という船です。1640年代の英国では、海上で敵船を追跡し、素早く行動できる船が求められていました。ペットは、その時代に速力を重視した新しい船の建造に関わっています。

後年、英国を代表する造船家となったアンソニー・ディーン(Anthony Deane)が、この船について興味深い話を残しています。

1690年3月7日、ディーンはサミュエル・ピープスやジョン・イヴリンと食事をしながら、英国のフリゲートについて語りました。その内容をイヴリンが日記に記録しています。

ディーンによれば、コンスタント・ウォリックはペットが造った船で、その目的は、“for a trial of making a vessel which would sail swiftly” 「速く帆走する船を造る試み」だったというのです。

この船は甲板を低くし、砲も水面に近い位置に置かれ、イヴリンの日記では “light and swift of sailing”「軽快で、帆走の速い船」と記されています。

コンスタント・ウォリックはキール長約85フィート、幅約26フィート、300トンを超える船で、後に国王のために造るヨットとは大きさも用途もまったく違い、軍用船です。

重要なのは、同じ船を小さくしてヨットにしたということではありません。ペットはヨットを造るずっと以前から、「どうすれば船を速く走らせることができるのか」という課題に取り組んでいた造船家だったということです。

さらに、サミュエル・ピープスが残した海軍関係の記録には、ペットがテムズ川で見たフランスのフリゲートを参考にした、という話も伝えられています。外国の速い船を見て、その特徴を自分の造船に取り込もうとしていたことになります。ただし、この記録には建造年など後世の史料間で食い違いがあるため、細部は不明です。

つまりペットにとって、船の速さはヨットを造ることになって初めて向き合った問題ではありませんでした。

速い船とはどのような船なのか。船体をどう造れば、より軽快に走らせることができるのか。ペットはすでに、それを実際の船を造りながら考えてきた経験を持っていました。

そのペットが約15年後、今度は国王のために100トンの小さなヨットを造ります。

そして出来上がった船を、同時代のイヴリンは“built frigate-like”――「フリゲートのように造られた」と記しました。

この二つの記録を重ねると、ペットが英国で最初のヨットをどのように考えたのか、その輪郭が少しずつ見えてきます。

小さな船に広い船内をつくる

速く、軽快に走ることだけが、ヨットに求められていたわけではありません。ペットがMaryに乗った1660年11月8日、同行していたピープスは、その船についてこう記しています。

“one of the finest things that ever I saw for neatness and room in so small a vessel.”

「これほど小さな船でありながら、その整った造りと広さは、これまで見た中でも最も素晴らしいものの一つだった。」

ピープスが驚いたのは、小さな船体の中に十分な空間があったことでした。そして、その場にはペットもいました。

これは、これから国王のヨットを造るペットにとっても、実際に目にしたMaryの大きな特徴の一つだったはずです。しかし、小さな帆船の船内を広くするのは簡単ではありません。

帆を張って走る船には、風によって船体が傾こうとする力に抵抗するための復原力が必要です。Maryのような浅く幅の広いオランダのヤハトと、より深い船体を持つ英国の船では、その確保の仕方も同じではありません。

ここで問題になるのがバラストです。

当時の帆船では、船底部に石などの重量物を積んで船を安定させる方法が一般的に使われていました。しかし、小さなヨットに大量の石を積めば、それだけ船内の低い部分が占有されます。

実際、ペット一族が後にヨットを建造した際には、この問題が記録に現れています。

石のバラストではキャビンの空間を大きく占めてしまうため、より小さな体積で同じ重量を確保できる鉛のバラストを使いたいという話が出てきます。これは単なる材料選びの話ではありません。

同じ重さなら、鉛は石よりはるかに小さな体積で済みます。限られた大きさのヨットでは、その違いが船内に使える空間の違いになります。

Maryを見たピープスが「これほど小さいのに広い」と驚いたこと。そして英国でヨットを造る際には、バラストがキャビンを狭くしてしまうことまで問題になっていたこと。

この二つの記録を重ねると、初期のヨットで求められていた「快適さ」が、単に豪華な家具や装飾の話ではなかったことが見えてきます。

小さく軽快な船でありながら、人が過ごすための空間も確保する。

それもまた、ヨットを造るうえで考えなければならない大切な条件だったのです。

ペットが考えたヨット

ここまで見てきたことを重ねると、ペットがどのようなヨットを造ろうとしていたのかが、少しずつ見えてきます。

チャールズがオランダで気に入ったヤハトは、小さく軽快で、自ら舵を取って操船を楽しめる船でした。人を乗せて移動することができ、船内で食事をしたり、くつろいだりする空間もありました。

英国へ贈られたMaryは約100トン。ペットが造った国王のヨットも94トンと、ほぼ同じ規模でした。

しかし、出来上がった船はMaryと同じ造りではありませんでした。

Maryには、浅いオランダの水域を走るための平たく浅い船体と、大きなリーボードがありました。ペットが造ったヨットには、そのリーボードが見当たりません。

そして、完成した船を見たジョン・イヴリンは、“built frigate-like”「フリゲートのように造られた」と記しています。

ここで、ペットがそれまでどのような船を造ってきたのかが意味を持ってきます。

ペットはヨットを造る約15年前、コンスタント・ウォリック(Constant Warwick)の建造に携わっていました。後に「速く帆走する船を造る試み」だったと語られ、「軽快で、帆走の速い船」と評された船です。

ペットには、ヨットを造る以前から、速く走る船をどのように造るかを実際の建造を通じて考えてきた経験がありました。

オランダのヤハトが浅い船体とリーボードを必要としたのには、浅い水域を走るという理由がありました。英国で使うヨットに、その条件をそのまま持ち込む必要はありません。

そこでペットが、自分がすでに知っていた英国の快速船の造船技術を使ってヨットを造ろうと考えたとしても、不思議ではありません。

もちろん、ペット自身が「オランダ型の船底は使わず、フリゲートの船型を採用した」と書き残した記録は見つかっていませんし、完成した船の水線下を正確に示す線図も残されていないので、実際にどのような船底だったのかまではわかりません。それでも、残されたものを並べてみることはできます。

ほぼ100トンというMaryに近い大きさ。
リーボードを持たない船体。
イヴリンの残した「フリゲートのように造られた」という言葉。
そして、ペット自身がそれ以前から速い船の建造に携わっていたという事実。

さらに、ヨットには速さだけではなく、小さな船体の中に人が快適に過ごせる空間も必要でした。後のヨット建造では、石のバラストがキャビンを狭くしてしまうことまで問題になっています。

こうして見ていくと、ペットがオランダで見たヤハトの形そのものを英国へ持ち帰ろうとしたのではなかった可能性が見えてきます。

彼が理解しようとしたのは、もっと別のものだったのではないでしょうか。

小さく、軽快に走り、自ら操船を楽しめる。それでいて、人を乗せて快適に過ごすことができる。そうしたオランダのヤハトの魅力を、ペットはそれまで自分が培ってきた英国の造船技術を使って、一隻のヨットとして形にしたのです。

残された船と記録からは、そんなペットの考え方を読み取ることができます。

もう一隻造られたヨット

ペットがチャールズ2世のためのヨットを造っていた頃、英国ではもう一隻のヨットが造られていました。

造っていたのは、ピーター・ペットの弟クリストファー・ペット(Christopher Pett)です。こちらはチャールズの弟、ヨーク公ジェームズ(James, Duke of York)のためのヨットでした。

こちらもどうぞ約100トンとされ、国王のために造られた94トンのヨットと、ほとんど同じ規模でした。

つまり、当時の英国にはオランダから贈られたMaryが約100トン、国王のために造られたヨットが94トン、そしてヨーク公のために造られたヨットも約100トンと、最初期のヨットがいずれもよく似た大きさで揃うことになります。

ただし、ヨーク公のヨットについては、国王のヨットほど船の姿が分かっていません。主要寸法などの記録は残されていますが、今回確認した範囲では、船体の特徴を詳しく読み取れる確実な同時代の図像は見つかっていません。更に、なぜ国王とヨーク公のためにほぼ同時に二隻を造ることになったのか、なぜピーターとクリストファーがそれぞれ一隻ずつ担当したのか、それを直接説明する記録も見つけることはできませんでした。

重要なのは、英国で始まったヨット造りが、国王のための一隻だけではなかったことです。

チャールズとヨーク公。それぞれのために、ほぼ同じ100トン前後のヨットが、ペット一族の二人の造船家によって造られていました。

英国で「ヨット」という新しい船を造る試みは、最初から一隻だけで始まったわけではなかったのです。

最後に…

ここまで「国王のために造られたヨット」について調べてきましたが、この最初のヨット建造コンセプトは、現代のものまで一貫して言えることは、小さく、軽快に走り、自ら操船を楽しめる。それでいて、人を乗せて快適に過ごすことができる。ということで、現代ヨットの幕開けはこの2隻であったと言って過言ではないわけです。

ところで、このチャールズ2世の為に建造された英国最初のヨットにはKatherine(キャサリン)という船前が付けられました。

この名前は、チャールズ2世の妻となるキャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza)にちなんだものとされています。後世のヨット史にも、『この船はピーター・ペットが国王のためにデプトフォードで建造し、王妃にちなんで名付けられた』と記されています。

ただ、ここには少し気になることがあります。

このヨットが造られた1661年、キャサリンはまだ英国に来ていませんでした。チャールズとの婚姻交渉が進んでいた時期で、実際に英国へ渡って結婚するのは翌1662年です。

つまり、英国で造られた最初の国王のヨットには、まだ英国へやって来ていない、これから王妃となるかもしれない女性の名前が付けられたことになります。

誰がKatherineという名前を選び、いつ正式にそう呼ばれるようになったのか。それを示す記録は、今回調べた範囲では見つけることができませんでした。

そして、もう一隻、クリストファー・ペットがヨーク公のために造ったヨットにも名前が付けられています。Anne(アン)。

こちらはヨーク公の妻アン・ハイド(Anne Hyde)にちなんだ名前とされています。つまり、英国でほぼ同時に造られた最初の2隻の王室ヨットには、それぞれ兄チャールズと弟ジェームズの伴侶となる女性の名前が付けられていたことになります。

けれど、チャールズ2世がオランダで出会ったヤハトをきっかけに英国で始まったヨット造り。その最初の一隻が、これから英国に迎える女性の名前を先に掲げていたというのは、なにか訳アリな感じがしますね。

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