オランダから英国に伝わったヨットは、チャールズ2世のもとで新たに建造され、国王はもとより王室関連の人々も移動するためだけで無く、船に乗っている時間を楽しむようになりました。
1661年にはキャサリンとアンが英国で初めて建造され、両船による競走まで行われました。翌1662年には、さらにオランダから贈られたベザントと英国製の小型ヨットによる競走も行われます。
チャールズは、こうした競走などを通じて、同じヨットでも船によって走り方や速さが違うことを実際に経験していったと思われます。
そして1663年、チャールズは再び新しいヨットを自費でも造ろうとします。
すでに何隻ものヨットを所有し、自ら操船して競走まで楽しんでいた国王が、何故また新しいヨットが欲しいと考えたのでしょうか。
今回は、この新たなヨット建造について深掘りして書いてみたいと思います。

1663年5月4日、英国海軍の行政官サミュエル・ピープスは、日記に興味深い出来事を書き残しています。
この日、ピープスは海軍行政を担当するウィリアム・コヴェントリーから、チャールズ2世が新しいヨットの建造を考えていることを聞きます。
日記によれば、国王は自分の私費で新しいヨットを建造するつもりで、しかも、その船には国王が考案したものを取り入れるつもりだということでした。
ここで注目したいのは、国王が単に新しいヨットを造らせようとしていたわけではない、という点です。チャールズ2世は、これまでの乗船経験をもとに、自らの考えを新たな船の設計に反映させたいと考えていたことです。
チャールズは、1660年にオランダから英国へ帰国して以来、ヨットに強い関心を持ち続けていました。すでに英国で建造された Katherine や Anne があり、オランダから贈られた Mary も使われていました。さらに、小型の Jemmy や Bezaan も加わり、王室の周囲にはさまざまなヨットが揃っていました。
それぞれの船は大きさが異なり、実際の帆走性能にも違いがありました。チャールズはそれらに乗り、ヨットについての経験を重ねていたのを踏まえ、国王は自分の考えを設計に反映させた新たなヨットを造りたいと思ったということです。
ただし、ピープスの日記には残念ながら、その考案がどのようなものだったのか、具体的な内容までは記されていませんでした。
船体の形を変えようとしたのか、帆装を工夫しようとしたのか。それとも、従来のヨットとは異なる性能を求めていたのか? 国王の意図を知るには、それまでに建造されたヨットの特徴と、実際の使用を通じて明らかになった違いを見ていく必要があります。
Katherine と Anne が見せた性能の違い
1661年に建造された Katherine と Anne は、ほぼ同じ大きさのヨットでした。しかし、1661年10月1日の競走では、風上と風下で両船の優劣が入れ替わっています。同じような大きさの船でも、なぜ走りに違いが生まれたのでしょうか。
帆走性能には、船体の水中形状、喫水、バラストの量と配置、帆装など、さまざまな要素が関係します。特に風上へ走る場合には、セイルが生み出す横方向の力によって船が風下へ流されるのを、船体の水中部分で抑えなければなりません。船底が浅く、水中の横方向の投影面積が小さければ、横流れを抑えることが難しくなる場合があります。風下へ走る場合には、横流れを抑える能力の重要性は相対的に小さくなり、船体の抵抗やセイルが受ける風の力などが速さに大きく関係します。
こうした違いは、17世紀の造船家にも経験的に知られていました。
1663年1月、アイルランドのダブリンで、数学者であり船の研究にも取り組んでいたウィリアム・ペティの実験船に関する報告が残されています。その報告では、従来の造船家は風下へ速く走る船と、風上へよく走る船をそれぞれ造ることはできても、両方の性能を一つの船で実現することは難しいと考えていた、と説明されています。ペティは、この問題を解決できると考え、細長い船体を二つ並べた実験船を造っていました。
つまり、当時の造船家たちは、風上と風下では速く走るために求められる船の性質が異なることを、すでに理解していたのです。ただし、それらを両立させる方法については、まだ試行錯誤が続いていました。
Katherine と Anne の競走で現れた性能差も、こうした当時の造船技術が抱えていた課題と重なります。もちろん、両船の詳しい船底形状や帆装がわからない以上、何が性能差を生んだのかを特定することはできません。しかし、チャールズ2世は、ほぼ同じ大きさのヨットでも風向によって走りが違うことを、1661年10月1日の競走を通じて経験していました。
風上でも風下でも速く走れるヨットを造れないだろうか。
新しいヨットの建造を考えたチャールズが、こうした課題を意識していた可能性は十分に考えられます。
使い続けることで見えてきた艤装の問題
王室のヨットは、建造された後も、実際に使用するなかで生じた問題や破損、故障に対応するため、修理や艤装の交換が行われていました。
1662年には、オランダからチャールズ2世に贈られた Mary について、新しいセイルやマスト、索具を用意する記録が実際に残されています。
さらに1663年3月には、国王の弟であるヨーク公ジェームズのために建造された Anne のメインマストに問題が生じ、交換が必要になりました。記録によれば、Anne のメインマストは上部と下部の両方に損傷があり、新しいマストを用意するために26ポンドの費用が見積もられています。
マストは、単にセイルを支える柱ではありません。セイルが受けた風の力を船体へ伝える重要な構造物です。風が強くなれば、マストには曲げる力が加わり、ステーやシュラウドにも大きな張力が生じます。マストを高くしたり、セイルの面積を増やしたりすれば、船を推進する力を大きくできる可能性がありますが、マストや索具に加わる荷重も増えます。また、セイルが生み出す横方向の力は、船体を傾ける力にもなります。船を適切な姿勢に保つには、船体の形状やバラストによって十分な復原力を確保しなければなりません。
つまり、速いヨットを造ろうとしても、セイルだけを大きくすればよいわけではありません。マストの強度、索具、船体、バラストの組み合わせを考える必要があるのです。
もちろん、Anne のマストが損傷した原因は、記録からは特定できません。材料の問題だったのか、使用中に過大な力が加わったのか、あるいは別の理由だったのかはわかっていません。しかし、1663年5月にチャールズが新しいヨットの建造を考えた時点で、王室ではすでにヨットのマストやセイルを交換する経験が積み重ねられていました。
国王が新しいヨットに求めたものは、単純な速さだけではなかったかもしれません。よりよく走り、しかも安心して使い続けられる船を造ることも、設計を考えるうえで重要な課題だったと考えられます。
新しいヨットは何処を変えたのか
1663年5月、チャールズ2世が自らの考案を取り入れた新しいヨットの建造を担当したのが、1661年に国王の弟ヨーク公ジェームズのために Anne を建造したウーリッジ王立造船所で働く造船家クリストファー・ペットです。
そして、1663年に建造された新しいヨットが、Henrietta (ヘンリエッタ)でした。船名は、チャールズ2世の母、ヘンリエッタ・マリアにちなんで名付けられたそうです。
では、国王が新たに求めたヨットは、それまでの船とどのように違っていたのでしょうか。残されている主要寸法を、1661年に建造されたヨットの Katherine、Anne と比較してみます。
| Katherine | Anne | Henrietta | |
| 建造年 | 1661年 | 1661年 | 1663年 |
| 建造者 | ピーター・ペット | クリストファー・ペット | クリストファー・ペット |
| キール長 | 49フィート | 52フィート | 52フィート |
| 船幅 | 19フィート | 19フィート | 19フィート5インチ |
| 船体の深さ | 7フィート | 7フィート | 7フィート |
| 喫水 | 7フィート | 7フィート | 7フィート |
| 当時のトン数 | 94トン | 100トン | 104トン |
この数字を見ると、Henrietta は Katherine よりも大きくなっていますが、Anne とはほとんど変わらないことがわかります。
キール長は Anne と同じ52フィートで、船幅が5インチ、約13センチ広くなった程度です。当時のトン数も100トンから104トンへとわずかに増えただけでした。
【注意】表にあるキール長は、現代のヨットでいう水線長とは異なります。また、当時のトン数は船の大きさを表す積量の数値であり、現代でよく使われる排水量ではありません。
船の速さや風上への走りを考えるうえでは、こうした主要寸法だけでなく、船首や船尾の形状、船底の深さや曲線、水中にある船体の横方向の面積などが重要になります。たとえば、同じキール長と船幅でも、船底の形状が異なれば、横流れのしやすさや水の抵抗、復原性は変わります。残念ながら、これら3隻の船体形状を詳しく比較できる設計図などは確認できませんでした。しかし、ここで興味深いのは、新しく建造された Henrietta が、Anne とほぼ同じ大きさだったことです。国王が新しいヨットに何らかの性能向上を求めていたとすれば、船の大きさを変えるのではなく、船体の形状や艤装、バラストなど、主要寸法には現れない部分に改良を加えようとしていた可能性があります。1661年の競走で風上への走りに優れていた Anne と、ほぼ同じ主要寸法が採用されたことも、その可能性を考える材料になります。
新艇の建造で直面した問題
1663年当時、英国王室の財政は決して豊かなものではありませんでした。1660年の王政復古によって王位に戻ったチャールズ2世には、議会から年間120万ポンドの収入が認められていました。しかし、実際の収入はこの額に届かず、王室の支出を十分に賄うことができませんでした。
1662年には財源を確保するため、住宅の暖炉の数に応じて課税する炉税(Hearth Tax)が導入されます。国王の支出に対しては議会からも批判があり、王室の財政は政治的な問題にもなっていました。
こうした状況のなかで、チャールズ2世は新しいヨットを建造しようとしていたのです。
1663年5月4日のサミュエル・ピープスの日記では、国王が自ら考案した新しいヨットを私費を投じてでも建造するつもりでいたことが記されています。王室の財政に余裕がない時期に、なぜチャールズはそこまでして新しいヨットを造ろうとしたのでしょうか。
その理由を考えるうえで興味深いのが、Henrietta の建造に関する費用と材料の記録です。
1663年5月19日、建造を担当するクリストファー・ペットは、新しいヨットの建造費として1,850ポンドを見積もりました。1661年に建造された Katherine の当初見積もりは1,935ポンドでしたから、Henrietta はほぼ同じ規模の船でありながら、それより低い金額で計画されていたことになります。
建造費を抑える方法の一つとして検討されたのが、船室の装飾でした。王室ヨットは国王や王族が乗船する船ですから、船室には豪華な彫刻などの装飾が施されていました。しかし Henrietta では、手の込んだ木彫りの装飾に代えて、金箔を施した革を張る案が示されています。王室ヨットとしての見栄えを保ちながら、装飾にかかる費用を減らそうとしていたと考えられます。
ところが、船の性能に関わる部分では、費用を抑えるための代替案が簡単に受け入れられたわけではありません。そのことがよくわかるのが、バラストをめぐる記録です。
Henrietta には、砲弾16トンと鉛13トンがバラストとして用意されていました。しかし、さらに16トンのバラストが必要とされ、鉛や砲弾の代わりに石を使う案が出されます。しかし、1663年9月19日、クリストファー・ペットは、この案に強く反対しました。石を使えば、必要な重量を積むために船室の半分ほどを埋めなければならず、しかも船が風下へ流されやすくなるというのです。更にペットは、代用品として提案された古い鉄材についても、場所を取りすぎるとして受け入れませんでした。
なぜ、バラストの材料がそれほど重要だったのでしょうか。
鉛は石より密度が高く、同じ重量を小さな容積に収めることができます。船底近くの低い位置に重量を集中させれば、船全体の重心を下げることができ、セイルが受ける風によって船体が傾いた際の復原性を高められます。また、船室の空間を広く残せることも、大きな利点です。バラストの重量や配置によって船の喫水や前後の姿勢が変われば、水中にある船体の形状も変化します。これは、風上へ走る際の横流れにも関係します。ペットが石の使用に反対したのは、船の性能を落としたくないというチャールズの意向が大きくはたらいているからだと推測されます。
そこで、Henrietta の建造における興味深い違いが見えてきます。船室の装飾については、費用を抑えるために材料や仕上げを変えることが検討され、バラストについては、安価な材料で代用するよりも、船の性能を重視したわけです。限られた費用をどこに使うべきか、優先順位を考えながら建造が進められていたように見えます。
Henrietta の建造では、1663年8月31日にペットがマストを選んだ記録も残っています。マストの寸法やセイル面積が、それまでのヨットとどのように違っていたのかはわかりませんが、船体の大きさだけでなく、艤装やバラストも含めて新しい船が仕上げられ、1663年9月には Henrietta が進水します。
こうして建造の経過を見ていくと、チャールズが私費を投じてでも新しいヨットを造りたいと語った理由が、少しずつ見えてくるように思います。
国王が求めていたのは、豪華な船室を備えた王室ヨットをもう一隻増やすことではなく、これまでのヨットで経験した帆走性能の課題を解決する、新しい船だったのではないでしょうか。
チャールズの真意は何だったのか
チャールズ2世は、なぜ自費を投じてまで新しいヨットを造ろうとしたのでしょうか。その背景には、彼自身がヨットに乗り、競走を楽しむなかで抱くようになった、船の性能に対する強い関心があったと考えられます。
チャールズは、オランダでヤハトに親み、英国に戻ってからも王室ヨットの建造を進めてきました。完成したヨットに乗るだけでなく、競走を通じて船ごとの走りの違いを経験し、造船家たちとも接する機会を持っていました。1661年に建造された Katherine と Anne の競走では、風向きによって優位に立つ船が変わりました。こうした経験は、チャールズにとって船の速さが単純に大きさやセイルの面積だけで決まるものではないことを実感する機会だったのでしょう。また、既存のヨットでは、マストや艤装の修理、交換も必要になっていました。ヨットを使い続けることで、建造時には見えなかった課題も明らかになっていたはずです。
しかし、これらの問題を解決するだけなら、既存の船を改修するという方法も考えられます。それでもチャールズが望んだのは、新しいヨットの建造でした。
ここで注目したいのが、ピープスの日記に記された「国王自身の考案」という点です。チャールズは、造船家に性能のよいヨットを注文するだけでなく、自分のアイデアを新艇に取り入れようとしていました。それは、船体の形状だったのか、艤装だったのか、あるいはバラストの配置だったのか。具体的な内容までは記録されていません。しかし、チャールズが自らの考えを実際の船で試したいと思っていたとすれば、新艇を建造しようとした理由が見えてきます。
既存のヨットを修理したり、一部分だけ改造したりするのではなく、自分の考えを最初から取り入れた船を造り、その走りを確かめたかったのではないか、Henrietta の建造過程にも、そのような考え方をうかがわせる記録があります。
船室の装飾では費用を抑え、帆走性能に影響するバラストについては、安価な材料での代用に強く反対する場面があります。豪華さよりも船の性能を重視していたと考えれば、建造中の判断にも一貫した意図が感じられます。そして、王室の財政が厳しい状況でも、チャールズが私費を投じてでも建造したいと語ったことについても、納得ができます。
チャールズは、ヨットに乗る楽しさを知っていただけでなく、どうすればヨットがもっとよく走るのかという疑問を持ち、自分なりの答えを形にしてみたかったのではないでしょうか。王としての立場を利用すれば、優れた造船家に新しい船を造らせることはできました。しかし、国王自身が考案に関わり、その実現に私費を投じようとしたという記録からは、単なる発注者とは異なる姿が見えてくるわけです。
Henrietta が実際にどれほど優れたヨットになったのかはわかりません。それでも、チャールズが自分の経験と考えをもとに、新しい船を生み出そうとしていたことには大きな意味があります。チャールズが本当に求めていたのは、もう一隻の王室ヨットではなく、自分の考えたヨットがどのように走るのかを確かめることだったのではないでしょうか。
最後に…
1663年に完成した Henrietta は、その後も英国王室のヨットとして使われ続けます。1669年5月には、海軍行政官サミュエル・ピープスが署名した、Henrietta にフォールスキールとグライプを取り付けるよう指示した文書が残されています。
フォールスキールはキールの下に取り付ける部材で、船底の保護に加え、形状によっては風上へ走る際の横流れにも影響します。グライプは船首下部の構造に関わる部材です。この改修が帆走性能の向上を目的としたものだったのかは定かではありませんが、完成から6年が経過した船体の水中部分に関わる変更がされたことや、さらに1671年3月には、船底に鉛板を張る工事が行われます。これも船底を綺麗に保ち、船のスピードを落とさないためのもので、チャールズ2世自身が工事に立ち会ったとまで伝えられています。
新艇の建造に自らのアイデアを取り入れようとしたチャールズは、完成から8年ほど経った後も、この船をより速く走らせるための工夫を続けていたと思われるのです。
現代のヨット乗りでも、船を乗り比べれば、それぞれに得意な風向や海況があることに気づきます。そして、もう少し風上に上れないか、もっと安定して走れないかと考えます。チャールズが抱いていたのも、そうした疑問だったのかもしれません。
オランダから英国へ伝わったヨットは、王室の移動や娯楽のための船として使われるだけでなく、実際に乗る人が性能を考え、改良を試みる船へと変わり始めていました。ヨットの進歩を後押ししたのは、造船家の技術だけではありません。船に乗り、もっとよく走らせたいと考える人々の探究心もまた、その歴史を動かしてきたのでしょう。





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