ヨット関連書籍『極限の漂流118日間』

ヨット雑学•雑記

SNSの広告表示機能で、たまたまAmazonベストセラー1位として紹介されていた『極限の漂流118日間』という本が目に留まりました。

https://link.amazon/B02589TNp

この本のストーリーは、イギリス人の夫婦がヨットで旅に出たものの、太平洋でクジラと衝突して船が沈没。小さな救命ラフトで118日間も漂流し、奇跡的に生還したという50年くらい前の実話です。

ヨットを題材にした本や映画には、遭難や漂流を描いたものが少なくないんですが、個人的には、こうしたサバイバルものはあまり好きではないので、正直なところ「また遭難漂流ものか……」という印象でした。

しかし、この夫婦についてちょっとだけ調べてみたら、この話には、その先がありました。118日間もの漂流から生還したふたりは、なんと新たなヨットを準備して、再び外洋航海へ出ていたのです。

このことを知って、俄然、この夫婦に興味が湧いてきたのです。そもそも、ふたりはどのようにしてヨットを始め、どんな船で外洋航海の旅に出たのか。そして、あれほどの経験をした後、どんなヨットを手に入れて再び海へ出たのか。

そこで今回は、118日間の漂流については本を読んで頂くこととして、その前後にあった出来事を中心に、モーリスとマラリン・ベイリー夫妻のヨット人生をMALU SAILING的に少し掘り下げてみたいと思います。

海へ出ることを選んだ夫妻

1962年、イギリス中部のダービーという街で、モーリス・ベイリー(Maurice Bailey)とマラリン・ハリソン(Maralyn Harrison)は知り合いました。

当時29歳のモーリスは印刷会社で植字工として働いていました。口数が少なく、人付き合いもあまり得意ではありませんでしたが、休日にはヨットに乗り、山に登り、飛行機の操縦も楽しむという、なかなか活動的な一面を持っていました。

対照的に、21歳のマラリンは明るく社交的な女性でした。ダービーの税務署で事務職として働いていましたが、決まりきった毎日の生活には、どこか物足りなさを感じていたようです。

ふたりが出会ったきっかけは、共通の知人マイク(Mike)でした。マイクはマラリンと月に一度、自動車のラリーに出かけていましたが、あるとき都合がつかなくなり、代わりにモーリスを誘ったのです。

そんな2人の性格は正反対でしたが、ふたりは惹かれ合い、1963年に結婚したのです。結婚後はダービー郊外の新興住宅地に家を購入し、それぞれ仕事を続けながら暮らし始めます。当時のイギリスでは、ごく一般的な若い夫婦の生活だったのでしょう。しかし、ふたりが望んでいたのは、必ずしもそんな暮らしではありませんでした。

モーリスは以前から、社会との関わりを最小限にして、自分の好きなことに没頭する生活を好んでいました。マラリンもまた、家事や子育てを中心とした家庭生活に収まることを望んではいませんでした。

1966年、結婚から3年ほどが過ぎたある雨の日の夕方、マラリンが思い切った提案をモーリスにします。「家を売ってヨットを造り、イギリスを離れよう」というのです。その行き先はニュージーランド。ヨットで海を渡り、新しい土地で暮らし始めるという計画でした。

興味深いのは、この提案をしたのが、セーリング経験のあるモーリスではなく、当時ほとんどヨットの経験がなかったマラリンだったことです。

モーリスにとって海は、以前から親しんできた場所です。しかし、マラリンにとっては、まだよく知らない世界だった筈。それでも彼女はヨットで海へ出ることを、今の暮らしを変えるための現実的な選択肢として考えたのでした。

もちろん、家を売ってヨットを手に入れれば、すぐに出航できるわけではありません。船を用意し、航海に必要な装備を整え、仕事を辞め、移住先での生活も考えなければなりません。ふたりには、ヨットを購入して何年も遊んで暮らせるような財産があったわけでもありません。

それでも夫妻は、この計画を実行に移します。

そして、約6年後の1972年6月28日、ふたりは自分たちのヨット「オーラリン号(Auralyn)」で、ニュージーランドを目指してイギリスを出航することになります。

ふたりはどうやってヨットを覚えたのか

ニュージーランドまでヨットで航海するという計画を立てたベイリー夫妻ですが、ふたりが同じようにセーリングの経験を持っていたわけではありません。

モーリスは結婚する以前からヨットに親しんでいました。登山や飛行機の操縦にも興味を持ち、自分で技術を身につけて楽しむことを好む人物だったようです。ただし、若い頃にどのようなヨットに乗り、どれほどの航海経験を積んでいたのかはわかりません。

マラリンは、モーリスと出会ってからセーリングを覚えました。もともとヨットの経験はほとんどなく、操船についてもモーリスから教わったようです。

もっとも、ふたりで近海をセーリングすることと、何千マイルも離れたニュージーランドまで航海することは、まったく別物です。

当時はGPSもなく、現在のように電子海図や気象情報を手軽に利用できる時代でもありません。大洋を横断するには、海図とコンパスによる航法に加え、太陽や星を観測して自船の位置を求める天測航法などの知識が必要でした。

モーリスは、こうした航海術を専門書から学んだそうです。参考にしたのは、イギリスの外洋セーラー、エリック・ヒスコック(Eric Hiscock)の本です。ヒスコックは妻スーザンとともに小型ヨットで世界各地を航海し、その経験を『Cruising Under Sail』などの本にまとめた人物です。1950年代から60年代にかけて、こうした本は外洋航海を目指すアマチュアセーラーにとって重要な情報源となっていました。モーリスも六分儀を使った天測航法を独学で習得し、外洋で自分たちの位置を確認できるように準備を進めていきます。

また、1968年にオーラリン号が進水すると、夫妻は船内で生活しながら内装や艤装を整えながら、実際に船を走らせて経験を積んでいきました。

この頃には、友人のコリン・フォスケット(Colin Foskett)と妻のジューン(June Foskett)も夫妻の航海準備に関わっています。コリンは木工作業を手伝い、ジューンもセーリングに参加するなど、ふたりだけでなく友人たちの協力もありました。

こうして夫妻は、1966年にヨットでの移住を決意してから、1972年に出航するまで約6年を費やしています。ただし、その6年間すべてを航海の練習に充てていたわけではありません。仕事を続けながら船を建造し、艤装を整え、必要な知識を学び、実際に航海するという準備を少しずつ進めていたのです。

特に興味深いのは、モーリスが無線通信機や補助エンジンを搭載せず、帆と従来の航海計器を頼りに航海することを選んだ点です。

当時すでに、外洋航海をするヨットにも無線通信機や補助エンジンは使われていましたが、モーリスはあえてそうした装備に頼らず、自分たちの操船技術と航海術でニュージーランドを目指そうとしていたのです。

最初のヨット「オーラリン号」

ニュージーランドへの航海を決めたベイリー夫妻が選んだのは、イギリスのヨット設計者モーリス・グリフィス(Maurice Griffiths)が設計した「ゴールデン・ハインド31(Golden Hind 31)」というヨットでした。グリフィスは、イギリスのヨット雑誌『Yachting Monthly』の編集者としても知られ、沿岸クルージングに適した小型ヨットを数多く設計した人物です。

ゴールデン・ハインド31は、全長31フィート(約9.45m)のクルージングヨットで、船体は合板を使ったチャイン構造で、船底には長いセンターキールと、その左右に浅いビルジプレートを備えていました。

チャイン構造とは、船体の断面を曲面だけでなく、平面を組み合わせて形づくる構造です。複雑な曲面をつくる必要がないため、合板による船体建造に適した構造です。また、長いキールは直進安定性を確保しやすく、左右のビルジプレートは横流れを抑える役割を持っています。浅い海域や干満差の大きな場所での使用も考えられた、いかにもイギリスのクルージングヨットらしい設計でした。

Just a moment...

夫妻がこの船を選んだ理由について、詳しい記録は無いのですが、外洋航海が可能な大きさでありながら、ふたりで扱える大きさで、建造や艤装にも自分たちで手を加えられるという点は、夫妻の計画に合っていたのでしょう。

船名はモーリス(Maurice)とマラリン(Maralyn)の名前を組み合わせた、「オーラリン(Auralyn)」と名付けられました。

オーラリン号は1968年に進水しましたが、進水したからといって、すぐにニュージーランドへ出航できる状態だったわけではありません。

夫妻は船内で生活しながら、内装や艤装を整えていきました。長期間の航海では、限られた船内に食料や水、工具、予備部品、航海用品などを収納しなければなりません。普段の週末クルージングとは違い、ヨットそのものが住まいとなり、生活に必要なものをすべて積んで移動することになります。

オーラリン号の準備には、夫妻の友人たちも力を貸していました。なかでもコリン・フォスケット(Colin Foskett)は木工作業を手伝い、船内の仕上げにも関わっていました。

夫妻は完成したヨットを購入して出航の日を待っていたわけではありません。船内で暮らしながら、自分たちの航海に必要な設備を少しずつ整え、実際に海へ出ては船の扱いにも慣れていきました。

1968年に進水したオーラリン号がニュージーランドへ向けて出航するのは、それから約4年後のことです。ふたりにとって、この準備期間もすでにヨットを中心とした新しい生活の始まりだったのでしょう。

そして、このオーラリン号には、現代のクルージングヨットでは考えにくい特徴がありました。それが、補助エンジンも無線通信機も搭載していなかったことです。港への出入りも含めて帆走が基本となり、外洋では無線による気象情報の入手や陸上との連絡もできません。航海位置の確認には海図やコンパス、六分儀などを使うことになります。

1970年代初頭には、すでに小型ヨット用の補助エンジンや無線通信機が普及し始めていました。装備を持たないことは、単に時代が古かったからというわけではありません。モーリスは、自分たちの技術で船を動かし、海を渡るという航海を選んだのでしょう。

31フィートのオーラリン号は、ふたりが暮らすための住まいであると同時に、ニュージーランドまで何千マイルもの海を渡るための船でもありました。限られた船内スペースに生活用品や航海に必要な装備を収め、食料や水を積み込み、風の力だけで大洋を横断する。夫妻はそんな航海を実現するために、何年もかけてオーラリン号を仕上げていったのです。

1968年の進水から約4年。内装や艤装を整え、航海術を学び、必要な物資を積み込んだオーラリン号は、ようやくニュージーランドを目指す準備を終え、1972年6月28日、モーリスとマラリンは、31フィートのオーラリン号でニュージーランドを目指し、イギリスを出航しました。

遭難体験が新しいヨットになった

1973年6月30日、118日間の漂流から救助されたモーリスとマラリン・ベイリー夫妻は、やがてイギリスへ帰国します。

ふたりの生還は大きなニュースとなり、新聞や雑誌などで広く取り上げられました。ヨットを失い、太平洋を118日間も漂流した末に生き延びたという体験は、世界中の人々の関心を集めたのです。

イギリスの新聞『デイリー・エクスプレス(Daily Express)』は、夫妻の体験談を独占的に掲載する権利を取得し、その対価として約1万ポンドが夫妻に支払われたそうです。更に1974年には、夫妻自身による漂流記『117 Days Adrift』が出版されます。現在では118日間の漂流として紹介されることが多いこの遭難ですが、当時出版された本のタイトルには「117日間」という数字が使われています。実際の漂流期間は118日と約8時間でしたが、当初の新聞報道で117日と誤って伝えられ、その数字が広く知られるようになったことから、書名にも117日間とそのまま使われたそうです。

そして、この新聞への体験談の提供や出版によって得られた収入が、ふたりの次の航海につながっていきます。

帰国した夫妻が考えていたのは、失ったオーラリン号に代わる、新しいヨットを手に入れることでした。118日間の漂流を経験した直後に、再びヨットで外洋へ出ようと考えたこと自体、ちょっと驚くべきことです。

しかも、ふたりは単に以前と同じ航海をやり直そうとしたわけではなく、今度は最初のオーラリン号よりもひと回り以上大きなヨットを準備し始めました。そして1975年、最初のオーラリン号を失ってからわずか2年ほどで、夫妻は二代目となる新しいヨットを手に入れることになります。

オーラリン二世号で再び外洋へ

1975年6月4日、イギリス南西部デヴォン州の港町テインマス(Teignmouth)で、ベイリー夫妻の新しいヨット「オーラリンII(Auralyn II)」は進水しました。

新しい船は全長45フィート(約13.7m)のケッチ。最初のオーラリン号は31フィート(約9.45m)のスループでしたから、全長は約4.3m長くなり、マストも1本から2本になりました。

ケッチは、メインマストの後方に小さなミズンマストを備えた帆装です。セイルを複数に分けられるため、状況に応じて帆面積を調整しやすく、長距離クルージングにもよく使われてきました。船底にはロングキールを備え、喫水は約6フィート(約1.8m)。最初のオーラリン号とは船型も帆装も異なる、ひと回り以上大きな外洋クルージングヨットでした。

ところが、この新しいヨットの進水式は、少々滑稽なものになってしまいました。

マラリンが船首にシャンパンの瓶を打ちつけても、なかなか割れません。5回試しても割れず、ようやく船が水に入ったと思ったら、今度は船台から滑り落ち、潮が引いてしまって動かせなくなったというのです。

118日間の漂流から生還した夫妻の新しい船出としては、なんとも締まらない進水式であったことが記録に残されています。

今回の航海の目的地は、ニュージーランドではなく南アメリカ南部のパタゴニア地方です。そして、今度は夫妻ふたりだけではありませんでした。

乗組員として加わったのは、最初のオーラリン号の準備にも協力した大工のコリン・フォスケット(Colin Foskett)と妻のジューン(June Foskett)、そしてマラリンの古い友人であるトニー・マーティン(Tony Martin)の総勢5人です。

モーリスが船長を務め、マラリンは食事や船内生活を担当。ジューンは甲板作業、コリンは木工作業、トニーは機関関係を担当するなど、それぞれに役割が決められていました。食料や日用品の準備も大がかりなもので、船には約2,000個の缶詰が積み込まれたといいます。イギリスの小売企業から提供された物資もあり、最初の航海とはずいぶん様子が違っていました。

1975年7月15日、オーラリンIIはウェールズ南部のラネリー(Llanelli)から出航しました。

出航には地元の市長や報道関係者も集まり、盛大な見送りが行われました。ただ、この日は強風が予想されていたため、見送りを終えるといったん港へ戻り、天候が回復してから改めて出航する予定だったそうです。

こうして始まった二度目の外洋航海では、大西洋を南下して南アメリカへ向かい、ウルグアイのモンテビデオ、チリのプンタ・アレナス、アルゼンチン南端のウシュアイアなどを訪れました。

航海中には、現地の当局に船を調べられ、武装した兵士が乗り込んでくることもあったといいます。

そして、なんと再びクジラに遭遇する出来事もありました。

後年、コリンはBBCの取材に対し、遠くから高速艇のようなものが近づいてくるのが見えたと語っています。それは、海面に大きな波を立てながら近づいてくるクジラでした。クジラはオーラリンIIの船尾近くまでやって来て、頭を持ち上げ、船を見つめるような動きをしたそうです。

コリンは、モーリスとマラリンが再びクジラに遭遇したことで、ひどく動揺していた様子を振り返っています。

しかし、今回のクジラは船に衝突することなく、静かに海中へ姿を消しました。

オーラリンIIはパタゴニアを巡った後、パナマ運河を通って大西洋側へ戻り、1976年にはイギリスへ帰港しました。

コリンの証言によれば、この航海で走った距離は約2万マイル。夫妻は、最初のオーラリン号では果たせなかった長距離航海を、今度は新しいヨットで実現したのでした。

海から陸へ、そしてその後の人生

1976年、二代目オーラリン号で約2万マイルの航海を終えたベイリー夫妻は、イギリスへ帰国しました。

118日間の漂流から生還し、わずか2年ほどで新しいヨットを手に入れ、再び大西洋を渡って南アメリカまで航海したふたり。しかし、この二度目の航海が夫妻にとって最後の大きな外洋航海となったようです。

帰国後、夫妻はオーラリンIIを売却しました。売却には、遭難体験の出版などで得た収入に対する多額の税金の支払いが関係していたと伝えられています。最初のオーラリン号を失った後、ようやく手に入れた新しいヨットでしたが、夫妻がその船を所有し続けることはありませんでした。

その後、ふたりはイギリス南部の港町ライミントン(Lymington)に落ち着きます。イギリス海峡に面したソレント海峡の西端に位置するライミントンは、古くからヨットやセーリングが盛んな街です。モーリスは船舶用品を扱うマリンショップを経営し、マラリンはガーデニング関連の仕事を始めました。かつて家を売り、仕事を辞めてニュージーランドへ向かった夫妻は、再び陸での仕事を持ち、暮らしていくことになったのです。

その後もふたりがヨットに乗っていたのか、どのような航海を楽しんでいたのかについては、詳しい記録が見つかりません。ただ、少なくとも1970年代のような長期の外洋航海を再び行ったという記録は見つけることができませんでした。

夫妻の手を離れたオーラリンIIは、その後も航海を続けたと伝えられています。後の所有者たちによってニュージーランドまで航海し、建造以来の総航海距離は約6万マイルに達したそうです。

その後、マラリンは2002年、61歳で亡くなりまします。モーリスは2018年に85歳で亡くなっています。

夫妻が当初目指していたニュージーランドへの移住は、結局実現しませんでしたか、ふたりは一度の遭難で海を諦めることなく、新しいヨットで再び外洋へ出て、南アメリカまでの航海を実現したのでした。

最後に…

今回、モーリスとマラリン・ベイリー夫妻について調べてみて、興味深かったのは、118日間の漂流そのものよりも、その前後にあったふたりのヨットとの関わりでした。

家を売り、何年もかけてヨットを準備して海へ出る。そして、遭難して船を失いながらも、新しいヨットを手に入れて再び外洋航海に出かけてしまう。

特に、遭難体験を伝えることで得た収入が、二代目オーラリン号の建造につながったという話は、なんとも興味深いものでした。

『極限の漂流118日間』には、太平洋の真ん中でヨットを失った夫妻が、限られた食料と水でどのように生き延びたのか、そして極限状態のなかで夫婦がどのように過ごしたのかが克明に描かれているようです。また、今回触れた、前後の話も書かれているそうです。

ヨットに興味のある方はもとより、夫婦の人生を描いたこのドキュメンタリーは、単なるパニック漂流小説よりも読み物として面白いと思います。また、Amazonのベストラー1位になっているようです。是非、本の方も読んでみて下さい。

https://link.amazon/B02589TNp

 

 

  クリック頂けると嬉しいです
にほんブログ村 マリンスポーツブログ ヨットへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました