昨年、世界初の単独無寄港世界一周ヨットレースである「ゴールデン・グローブレース」を題材にした「喜望峰の風に乗せて」という映画が公開され、 ヨットファンなら誰しも興味を持ったと思います。
この映画の主人公は、このレース唯一の完走者であるロビン・ノックス-ジョンソンではなく、スタート期限の最後の最後にスタートし、断トツの速さでゴールする筈だった… ドナルド・クローハーストの謎の失踪までの事についてが描かれています。
世界初の単独無寄港世界一周レースはこのような結末で事実上の大失敗に終わり、その後、世界一周のレース熱は冷め、1982年まで姿を消すことになります。
そんなヨットの単独世界一周ですが、実はヨットの単独世界一周記録には複数の記録があります。
そこで今回は、3つの世界初ヨット単独(シングルハンド)世界一周の記録をご紹介します。
無寄港、西回り、東回り
ヨットの単独世界一周記録には、単独無寄港と途中寄港があり、西回りまたは東回りの3つの記録が存在します。シングルハンドで長距離を帆走するだけでも素晴らしいことですが、昔はGPSなどのナビゲーション機器も無い中、自分で天測しながら正しい自分の位置を把握し、荒れる海を一人で乗り越えて行くなんて、現代では考えられない苦労がそこにはあったことは容易に想像できます。
単独世界周航(西回り)
ヨットで世界初の単独世界一周を世界で初めて成し遂げたのは、ジョシュア・スローカム “Joshua Slocum” です。
36フィートのケッチ型ヨットであるスプレー号で1895年4月24日にボストン港を出発、3年2か月後の1898年6月20日にロードアイランドのニューポート戻るまでの45000マイルの間、世界各地に寄港し、シングルハンドでクルーズしました。
スローカムは、船乗りの血を受け継ぎ12歳で漁船に乗り始め、18歳で二等航海士となり、後に船長としてサケ漁の遠征やオホーツク海、メキシコ、北太平洋横断など数々の航海経験を積みます。船乗りとして以外にも、ボートの設計や造船、ブラジルからサウスカロライナまでの5510マイルを無甲板船で完走した偉業もある人物です。
彼の単独世界一周は、レースなどのような速さや時間を気にすることなく、のんびり周遊したものですが、途中の海では大変な苦労と冒険があった筈です。その様子は、自身が書いた「スプレー号世界周航記」に記されています。
単独世界周航(東回り)
単独世界一周の周航記録には、もう一つの世界記録があります。東回りでオーストラリアのシドニーに一度だけ寄港し、単独世界一周を成し遂げた、フランシス・チチェスター “Francis Chichester” です。
彼は元飛行士でバート・ヒンクラーの持つイギリス-オーストラリア間の単独飛行記録を破ろうと挑戦したり、戦時には空軍パイロットに志願しますが、年齢と視力の問題で戦闘機に乗ることは叶いませんでした。しかし、彼は天測航法などをマニュアル化し軍に貢献します。
その後、ヨットマンとなった彼は1960年に行われた第1回のオブザーバー・シングルハンド大西洋横断レース “Observer Single-handed Trans-Atlantic Race” で優勝、その4年後に行われた第2回レースでも2位という好成績を収めます。
その後、チチェスターは19世紀の商業帆船全盛期のクリッパー・ルートによる世界一周を、より小さなヨットを使って最も速く世界一周をしたいと考え、 高速クリッパー船によるシドニーまでの100日間の記録を上回ることを目標に掲げ、1966年8月27日にイングランドのプリマスを53フィート(16 m)のケッチ型ヨット”Gipsy Moth IV”で出航し107日間でシドニーまで完走します。シドニーに48日間滞在した後、119日間かけてホーン岬経由で帰還し、226日間29600マイルを走破し、1967年5月28日にその挑戦を終えました。
単独無寄港
単独世界一周を「無寄港」で達成したのは、1968年に行われたゴールデングローブ世界一周ヨットレース “Golden Globe Race” で唯一ゴールすることができた ロビン・ノックス-ジョンストン “Robin Knox-Johnston” のスハイリ “Suhaili” 号です。
このレースは、チチェスターの西回り周航記録に触発された5人のセーラーが単独無寄港世界一周を計画していたのを契機に、イギリスのサンデータイムズ誌がスポンサーとなりゴールデングローブレースという名称で企画され、優勝者には賞金として5000ポンドが授与される賞金レースでした。
レースはイギリス南部の港町ファルマスをスタートし、大西洋を南下し喜望峰をまわって南氷洋を回って世界一周し、南米大陸南端のホーン岬を越えて大西洋に戻り、スタートの地であるファルマスへ戻るというもので、スタートは6月1日から10月31日までの期限内であればいつでもよく、勝敗は世界一周に掛かった日数で決まるというものでした。ジョンストンの記録は313日で、他にゴールするものが無かったことから、彼が勝者となりました。
このレースは、現在でも行われている”Vendée Globe”のルーツとも言えるものです。
ジョンストンのレースの様子は、スハイリ号の孤独な冒険という彼の著書で見ることができます。
最後に…
世界一周と言っても、大西洋を南下してアフリカと南米大陸の南側から南緯40度線上の南氷洋近くをぐるりと回りますから、本当のところは世界を一周しているわけではありません。クリッパー・ルートと呼ばれる偏西風を利用した帆船航路をトレースしており、実際にはアジアや太平洋などには行っていませんから世界一周と言うのは本来での意味では少し違和感があります。しかし、この南緯40度線上の南氷洋は、吠える40度と言われているほど海が大変荒れることで有名で、更に流氷との衝突の危険もあります。つまり、このコースを用いた世界一周レースはアドベンチャーレースの要素が色濃く、現代の単独無寄港世界一周レース”Vendée Globe”だということです。単独世界一周レースは現在ではこのレースだけになってしまいました。
現代ではシングルハンドではない代わりに、本当の意味での世界を周航するレースとして、世界最大級のヨットレースである “THE OCEAN RACE”(以前の”VOLVO OCEAN RACE”)が本当の意味での世界一周レースとして今も継続されています。
時間と速さを競うヨットレースも迫力がありますが、僕はスローカム船長の単独世界周航がやはり本当の意味での世界初単独世界一周ではないかと思っています。
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