このブログでいつかは、僕の憧れる「J-Classヨット」のことについて取り上げたいと考えていたところ、今年の3月、時は正にコロナ禍のロックダウン直前に行われたスーパーヨットの祭典である「スーパヨットチャレンジ アンティグア」”Superyacht Challenge Antigua” に初めてJ-Classシリーズレースとして参加したJ-Classヨットですが、レース初日のスタート直前の1分40秒前、スタート争いをする中で、いよいよスタートラインへ向かおうとしたそのときに衝突事故が起きてしまい、J-Classヨット5艇が参加のうち事故を起こした2艇が早々とリタイアするというハプニングが起きてしまいました。

J-Classヨットと言えば、建造費は1艇あたり1億ドルを下らないと言われるクラッシックデザインのスーパーレーシングヨットですが、そのヨット同士が衝突してしまったわけですから合計2億ドル(日本円にしておよそ200億円超)という驚きの金額の衝突で “J CLASS ASSOCIATION” 発足以来、同レース史上初めての大きなアクシデントとなってしまいました。

先ずは、その事故の様子がYouTubeにアップされていますのでご覧ください。
ポートタックでぶつかって行ったのが Svea号(43.6m) で、スターボードタックでSvea号に乗り上げられたのが Topaz号(42.6m)です。Svea号は Topaz号をぎりぎりかわそうとポートタックながらも回避行動をとらずに直進していたところ、Svea号が急にラフしたことで急減速し、Topaz号もあのタイミングでは舵を仮に切ったとしても間に合わず衝突してしまったようです。この動画を撮っていた同じJ-Classヨットの Velsheda号もSvea号に並走し、追い越し風下優先からポート側へ舵を緩やかに切り始めてタックする体制に入っていたこともあって、Svea号は逃げ場を失い、直進して2艇の隙間をギリギリ抜けてゆく走りであったように見えます。Topaz号があそこで急にラフして急減速さえしなければ、そのまま走り抜けて何とか衝突しなかったかもしれないというように見えますね。

…ということで、今回はこのJ-ClassヨットのアクシデントとJ-Class についてお話をしてみたいと思います。

J-Classヨット、Svea号とTopaz号の衝突

冒頭で書いたJ-Classヨットの衝突の続きからですが、Svea号はTopaz号に乗り上げる形で衝突し、2人のクルーが負傷、1人はSvea号の船首で船外に押し出され、肋骨を4本折る重傷、もう1人はTopaz号のランナーテールがぶつかったそうです。
Topaz号は、ポートランナーウインチが引き裂かれ、ブームは折れ、バックステーは大きな負荷により壊れ、後方ポート側のガンネルは損傷し、衝突の衝撃によりマストには極端な荷重が掛かりマストのチェックも必要な状態となったようです。Svea号は、主に船首側船底に重篤なダメージを受けたとのことです。

J-Classヨット最新艇 “JS1 Svea”号

Svea号は、10艇あるJ-Classヨットの中で最も新しく2017年に進水した、Jクラスの流れとマキシグランプリヨットのテクノロジーを併せ持ったヨットです。また、アメリカズカップ艇として設計された史上最大のJ-Classヨットでもあります。
Svea
Svea号の特徴は、大径の半分はデッキの下に沈み込んだステアリングホイールで、ヘルムスマンは座っていてもテルテールを見ながらヘルムをとることが出来ます。デッキレイアウトはメインセイル、ジェノア、ランニングバックステイが全てヘルムスマンより前でコントロールされる現代的なコックピット配置になっています。

Sveaステアリング

1937年スウェーデンの Tore Holm により設計されましたが、ヨットは建造されることはありませんでした。Tore Holm の図面はヨット歴史家である John Lammerts van Beuren によって発見されました。現在、このヨットは143フィート(43.6m)の最長のJ-Classヨットです。

Sveaバウ側
Sveaメインサロン
Svea機関室
Svea後ろより

水線長が最長デザイン “J8 Topaz”号

Topaz号はSvea号の次に新しい新造のJ-Classヨットで2015年に進水しました。オランダのHolland Jachtbouwにより建造されました。外観デザインとエンジニアリングは、Hoek Designによるもので、 豪華なインテリアはRhoades Youngによって設計されました。プライベートカスタムヨットとして造船されたため、内部の様子などは残念ながら公表されていません。

TOPAZ

J8は未建造で1935年にFrank C. Paineにより設計されました。Frank C. Paineは以前、1930年にJ-Classヨット”Yankee”、も設計しています。(建造済み)設計当初は名前が無く”J8″と呼ばれていましたが、オールラウンドで優れたパフォーマンスを発揮する設計で、J-Classヨットとして設計された中では最長の水線長を持つJ-Classヨットで、キールのアスペクト比が最も高く、セールエリアと排水量とのトレードオフとして、延長された喫水線の長さに対してペナルティを取るほうがよいという計算でデザインされていました。

TOPAZレイアウト
TOPAZ空撮
TOPAZコックピット
TOPAZ後ろから

最後に… J-Classヨットについて

今回、衝突した2艇は、現在10艇ある J-Classヨットのうち、最も新しく建造された2艇ですが、J-Classヨットは、レストアされたもの、またはアメリカズカップ艇として計画され建造されたことがあるか、または図面が残っている物のみ再建造できるというルールになっています。(ハルデザインは基本的に変えることができません)
J-Classヨットは、1925年に定められた国際ユニバーサルルールのA~Jのクラスの中で最も大きなヨットです。(A~Hはマルチハル、Iは設定なし、S~Jがモノハル)Jクラスが注目を浴びるようになったのは、1930年のアメリカズカップからユニバーサルルールが初めて採用されるようになったことです。それまでのアメリカズカップでは、防衛艇、挑戦艇の双方合意のもと水線長とセールエリアでハンデキャップのレーティングが設定されました。しかし、防衛側主催のレースは必ずしもイコールコンディションではなく、特に挑戦艇は遠路はるばる自走での回航がルールだったことから、明らかに挑戦艇不利となっていました。そこで、1930年のアメリカズカップからはJクラスを採用し、アメリカズカップ史上初のスクラッチ形式のレースが実現したわけです。そのような歴史のあるJ-Classヨットですが、第二次世界大戦によるアメリカズカップの中断、徴用や解体により姿を消してしまいましたが、リプトン卿の”Shamrock V”号のみが改造されて地中海で使用されていた以外は、”Endeavour”号がワイト島で、”Velsheda”号はサウサンプトン近くで放棄されていたのを1980年代に発見、救出、レストアされ、”Endeavour”号のレストアに触発された”Shamrock V”も往時の姿にレストアされたことで、英国にあった3艇のJ-Classヨットが最初に蘇ったわけです。その後、この3艇が2001年にイギリスのワイト島で開催されたカウズウィークで勢揃いしたことをきっかけに前年に設立されたJ-Class Assosiationの活動が盛んになり、現存3艇に加えレプリカ4艇が建造されJ-Classレガッタがスタートし、現在に至るわけです。

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