ヨットレースと言えば大抵の人はアメリカズカップを思い浮かべると思います。アメリカズカップは「海のF1レース」と形容されるように、沿岸のエリア(レース海域)を使って観覧し易いようにコースを設置し、そのエリア内でレースが行われるインショアレースで、そのマーケティングもヨット界のレースの中ではワールドワイドでまさにF1並みですから、あまりヨットに興味が無い人でもアメリカズカップは何となく知っているということになるのでしょう。インショアレースと言えば、オリンピックの種目にもなっているセーリング競技がそれにあたるわけですが、アメリカズカップは正にこのスポーツヨット競技のプロ版の頂点とも言えるレースです。

ちょっと脱線したので話を戻しますが、これがヨット乗り(セーリングクルーザー乗り)になると、ヨットレースと言うとオフショアレース(外洋レース)をイメージする人が多くなります。ヨット(セーリングクルーザー)はインショアで楽しむものでなく、オフショアに出てこそ楽しい乗り物ですから、インショアレースに興味があっても断然オフショアレースの方が気になるわけです。アメリカズカップがインショアレースの最高峰であれば、それに対してオフショアレースの最高峰が何かと聞かれたら、意見はちょっと分かれるところなんですが、その過酷さから言えば断然、今回ご紹介する ”VENDÉE GLOBE”(ヴァンデグローブ)では無いかと私は思うのです。

SOLO, NON STOP AND WITHOUT ASSISTANCE

世界を周航するヨットレースは他にもいくつかありますが、ヴァンデグローブは「単独」「無寄港無補給」「無支援」で世界を周航する世界唯一のセーリングヨットレースです。ヴァンデグローブは「海のエベレスト登頂」とも言われるほど過酷で、過去に8回行われたこのレースに167人が挑戦しましたが、そのうちフィニッシュラインを越えることができたのは87人という超過酷なアドベンチャーヨットレースです。

ヴァンデグローブの起源

このヨットレースは1968年に3つの岬(南アフリカのグッドホープ、西オーストラリアのルーイン、南米のホーン)を回るタイプの最初のヨットレースである「ゴールデングローブ」をきっかけに始まりました。この1968年にスタートしたレースでは9人が世界周航に挑戦しましたが、無事にゴールすることができたのはただ1人だけで、翌年の1969年4月6日、313日間を要してゴールしました。それから20年後の1989年11月26日に第1回のヴァンデグローブが13人の挑戦者によってスタートが切られたのが始まりです。

Vendée Globe homepage

ヴァンデグローブの過酷さとコース

過酷さを示す言葉は、「単独」「無寄港無補給」「無支援」だけではありません。このレースの過酷さは、世界を周航するその距離やコース取りにも色濃く表れています。周航距離は40,075キロメートル(21,638マイル)にも渡り、その行程では次々と変わる気候変化や環境条件も過酷です。このレースは、フランスをスタートして、まず大西洋を下り赤道を越えインド洋と太平洋を渡り、南緯40度線まで南下します。東回りでニュージーランドの南側を通過し更に南の南緯55度にあるホーン岬を目指します。南緯40度線より南側と言うと海況が非常に厳しくなることから、吠える40度(Roaring Forties)、狂う50度(Furious Fifties)、絶叫する60度(Screaming Sixties)と言われるほど海況が悪化する厳しい海域で南緯55度のホーン岬の南側を通過するには流氷帯もある程の極寒が待っています。その後、大西洋を北へ進路をとりスタート地点へ戻るというもので、太平洋の夏のような暑さから南氷洋近くの凍るような寒さまでを一つのレース中に体感することになります。それは人だけでなく船や器材に至るまで全てにおいて過酷な条件にさらされるわけです。

コース図

ヴァンデグローブのコンセプト

このレースのコンセプトは非常にシンプルで理解しやすいものです。

単独 “SOLO”

このレースはソロレースであり、世界一周の航海中は船長以外の誰も船に乗せることができません。しかし、例外もあります。それは仲間の競技者にトラブルが起きて救助が必要になったときです。

ノンストップ “NON Stop”

ヴァンデグローブの競技者が許可される唯一のピットストップは、スタートから10日以内にスタート地点であるレサーブルドロヌ”Les Sables-d’Olonne” に戻ることです。船から降りることなくのた修理のために波の穏やかな入り江に入ってアンカリングすることはできますが上陸はできません。

援助なし “WITHOUT ASSISTANCE”

ヴァンデーグローブで唯一許される援助は、スタートから10日以内にレサーブルドロヌに戻った時だけです。この例外を別とすれば、周航中は誰にも援助を受けることができないので、自分のできる範疇ですべてのことを処理してゆかねばなりません。外部からコースのアドバイスを受けることも固く禁止されています。自ら行くべきコースを判断しなければなりません。船にトラブルが起きればすべて自分で修理もしなければなりません。怪我や病気になってしまっても、自分で対処しなければなりません。但し、怪我や病気の時だけはレースドクターに助言を求めることだけはできます。船が壊れたり修理が必要な状態になったときも、自分のチームの設計者やテクニカルアドバイザーに相談し修理の最善の方法についての情報を得ることはできますが、部品や工具などを含め、その場にあるもので自分で作業を全て行わなければなりません。

ヴァンデグローブで使用するレース艇

このレースで使用される艇は “IMOCA 60 (OPEN 60 MONOHULL) CLASS RULES” に準拠しています。艇の全長は20.117m(66ft)以内であり、船体の長さは17.983m以上18.288m以内(約60ft)、幅は5.85m以内とし、最大幅は船体の長さの最先端から1.0m以上後方にあり、1.12m以上なければなりません。マスト高は、メインセイルの長さ27.3mにグースネックの位置0.7mを加えた、およそ28.0m程度となります。アメリカズカップ艇でもフォイルが付いていますが、ヴァンデグローブでもモノハル用のフォイルの取付が許されています。

ヴァンデグローブの日本人チャレンジャー

このヨットレースには日本から 海洋冒険家の白石康次郎さんが前回の2016年に参戦しています。惜しくもデスマストで(マストが折れてしまい)リタイアしましたが、次回2020年スタートのレースには切削型工作機械の世界的総合メーカーであるDMG森精機の日本初プロ外洋セーリングチームである”DMG MORI SAILING TEAM“のスキッパーとして挑戦する予定で準備が進められています。
詳しくは、下の写真に白石康次郎さんのプロフィール及びWebページへのリンクを張っています。

 

白石康次郎プロフィール

 

 

ヴァンデグローヴ艇

 

最後に…

次回のヴァンデグローブは2020年に行われる予定です。日本では東京オリンピックの年でもあり、セーリング競技が神奈川県の江の島で開催されます。オリンピック終了後の11月にはヴァンデグローブ2020のスタートが切られる予定ですので、来年はセーリングがクローズアップされそうな予感です。白石康次郎さんにとっては、様々なレース参戦の経歴と世界を3度ヨットレースで周航した経験がありますが、今回のヴァンデグローブは人生初のプロチームスキッパーとして、また最新艇での参戦となります。前回のリタイアをリベンジするだけでなく、好成績でのゴールを期待できる環境にあります。新艇が先日ヤードアウトしたとのことですが、ちょうどこれを書いている頃、マストを立てる作業をしている頃だと思います。

ヤードアウト

 

日本チームの外洋レース最新艇の姿が間もなく見れると思うと、今からとても楽しみです。

 

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