ヨットが夫婦で楽しくなり始めた頃、旅先が海沿いだったりすると、その地域のマリーナやヨットハーバーを見に行ったり、その施設の中にあるレストランに入って、雰囲気を楽しんだり、ヨットを眺めたりしていました。
そんな中、兵庫県にある新西宮ヨットハーバーに訪問した時に見た堀江謙一さんの太平洋横断世界最小のヨットと言われるマーメイド号(全長2.8m、全幅1.85m)を見た時には、その小ささに驚きました。こんな小さなヨットで百日以上、それも海上で波にもまれて転げ回りながら過ごしたら、気がおかしくなってしまうのでは無いかと思ったからです。

堀江謙一さんのマーメイド号
しかし、子供の頃を思い起こすと、狭いところは大好きで、漫画のドラえもんに出てくる野原の土管の中とか、家の押し入れを秘密基地のようにして遊んだりしたこともあったし、大人になってもカプセルホテルにワクワクだったり、学生時代には狭く小さな車の中で寝泊まりしながらの旅行だって十分楽しかった。息苦しいとか狭苦しいなんて、あまり気にならなかったような気がします。

男子なら多かれ少なかれ、そんな狭い場所にワクワクしたことがある人が多いのでは無いかと思うのです。そんな子供の心を大人になっても持ち続けることができる人だからこそ、こういう小さな外洋ヨットで海を渡りきることができたのではないかと考えたりするのです。

そこで今回は、世界最小の外洋ヨットのタイトルを争ったマイクロヨットをご紹介したいと思います。

シーエッグ号 “sea egg”

イギリス人のジョン・ライディング “John Riding” は、1967年7月に世界周航のために12フィートのマイクロヨット「シーエッグ号」”sea egg” でイギリスのプリマスを出港します。その後、フランスからニューヨークに渡り、史上最小のヨットで大西洋を横断します。その後、アメリカの海岸線を南下し、パナマ運河から太平洋を経てサンディエゴに行き、太平洋を渡ってニュージーランドまで行き、事実上世界半周を航海しました。

シーエッグシーエッグシーエッグsea egg

エイプリルフール号 “APLIL FOOL”

アメリカ人のヒューゴ・ヴィーレン “Hugo Vihlen” は、1968年に僅か1.8メートル(長さ5フィート11インチ,幅5フィート)のヨット「エイプリルフール号」”APLIL FOOL” でモロッコのカサブランカからフロリダまでの4100海里を84日間かけて大西洋を横断しました。

APRIL FOOLAPLIL FOOLAPLIL FOOLAPLIL FOOL

べラビュー号 “Vera Hugh”

ヴィーレンの大西洋横断世界最小ヨットの記録は25年間後、イギリス人のトム・マクナリー “Tom McNally” のべラビュー号”Vera Hugh”の長さ5フィート4.5インチによって1993年に破られます。

べラビュー
しかし、マクナリーのこの最小ヨット記録は、6ヶ月後にヴィーレンの新たなヨットで破られてしまいます。彼は亡くなるまでの間、記録更新のために新たなヨットを造り準備を重ねていましたが、再び大西洋を渡ることはありませんでした。

ファーザーズデイ号 “Father’s Day”

ファーザーズデイ号 “Father’s Day” は、当初 5フィート6インチで造られ、ヒューゴ・ヴィーレン自身の持つ記録を更新するために1993年に大西洋を横断し、イギリスに向かいしました。しかし、トム・マクナリーがこれより小さなヨットで大西洋横断を果たしたことから、彼はファーザーズデイ号を更に2インチ切り詰め、5フィート4インチとしたうえで、カナダのニューファンドランドを出発し、115日間かけてイギリスのファルマスに向かい、世界最小ヨットで大西洋を横断する記録を死守しました。

Father's Day号FATHER'S DAY

最後に… G’day 88号

オーストラリアのアシュリー・コールストーン “Ashley Coulston” が11ヶ月を要して作成したこのヨットは、長さ8フィート、幅が5フィート、キールからデッキの高さは6フィートでメインセイルが2枚両開きに取り付けられたバタフライリグのヨットで、1988年にタスマン海を渡るために作成されたものです。

マイクロヨット
このマイクロヨットはイラストを見る限り、他のマイクロヨットに比べてかなり快適そうに見えます。足を伸ばしてイラストのように眠れるだけでも、他に紹介したものに比べれば、かなり良いと思います。

小型の大西洋横断記録を競って製作されたヨットたちは、小ささを競っているので、ファーザーズデイ号まで小さくなると膝を抱えるように座位でしか船内に居ることが出来ず、かなり窮屈な体制で100日以上の航海を耐え抜いたそうです。小さくなれば搭載できる機材や食料なども限られることから、チャンレジを終えた時には、立ち上がることも出来ず、体重もかなり減ってしまい、自分の力ではヨットから降りてくることも難しかったと記録にはあります。

そこまでして頑張れるのは、名誉のためなのか、意地なのかといろいろ考えますが、やはり子供の心を持ち続けているからなのかなと思ったりもするわけです。

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