元ニュースキャスターの辛坊治郎さんが8月24日の朝、大阪~サンディエゴ(アメリカ)の太平洋単独往復横断を無事に終え、淡輪ヨットハーバーに戻ってきました。辛坊さんの太平洋横断と言えば、2013年にアメリカ在住の全盲セーラーである岩本光弘さんとのブラインドセーリングによるダブルハンドでの挑戦で、福島県小名浜をスタートした僅か5日後の6月21日にクジラと衝突、ヨットは大破し沈没という遭難事故となってしまったことが一般的に知られているところです。
その頃の僕はと言えばヨットを始める以前のことで、辛坊さんのこの海難事故はヨットのことをよく知らない一般人としては、クジラとぶつかっただけでヨットが沈んでしまうんだという驚きと共に、そんな小さなヨットで太平洋を横断しようなんて、やっぱり無謀なことなんじゃないかなと正直思っていました。しかし、自分自身がその翌年から思いがけずヨットに乗り始めることになり、ヨットにどんどんハマって行くにつれてヨットに関する知識や理解も深まり、更に凝り性な僕はヨット関係の古本を買い漁ってはヨット界のレジェンド達の航海記などを読んでいくうちに、ヨットで太平洋を渡ることや世界中の海を巡ることはそんなに珍しいことではないし、毎年何人かの名も知れないヨットマンたちが太平洋を渡っているということも知り、それ自体がそんなに無謀なことではなく外洋ヨットを使って準備をきちんとやりさえすれば世界中の海を巡る旅ができるということ、そして辛坊さんの海難事故は宝くじに当たるよりも低い確率で起きた彼らではどうしようもない偶然、つまりたまたま運が悪かったんだということを知ったわけです。

そもそも辛坊さんの前回の太平洋横断チャレンジはブラインドセーラーである岩本さんのご指名によるもので、当時の辛坊さんはテレビでレギュラー番組を2つも務める身でもあったことから回答を保留、この挑戦をテレビ局のドキュメンタリー企画にする代わりに番組を休んで行って良しということになりテレビ局側の大々的な告知もあって注目されてしまったことも相まって、初回チャレンジの遭難事故による実質的な失敗は世の中にかなりネガティブな印象を与える結果となりました。海難審判では「船長責任は無し、クジラとの事故は不可抗力」との判断が出ていても、辛坊さんに対して当時かなりのバッシングがあったことは偽らざる事実です。
しかし、人の噂も七十五日と言いますが、その後も放送界で活躍し続けた辛坊さんが去年の12月に突然の再挑戦を発表した時には、正直驚きましたが、ヨットマンの端くれになっていた僕としては、今回はアメリカまで無事到着して欲しいという気持ちと、彼のことだからいろいろと旅の様子を何らかの形で伝えてくれるだろうという期待感もありました。ヨットマンだったらみんな興味ありますもんね。そして、今年4月9日にチャレンジが始まったわけです。
出航時は単なる一個人のヨット旅なんだから、まあ頑張ってアメリカまでご無事に…という程度の気持ちだったんですが、辛坊さんは出航して直ぐから苦労の連続、なかなか日本近海を離れるこが出来ずに苦労している様子で航跡は迷走状態になってきたこともあり、毎日彼の進み具合をスマホを通して見ているうちに、なんだか応援したい気持ちになってきたわけです。
…とは言っても僕に出来ることなんて何もないわけですが… ちょうどその頃の僕は昨年11月から今年2月に掛けて海洋冒険家の白石康次郎さんが挑戦していた単独世界一周ヨットレース “Vendée Globe 2020-2021” をFacebookグループの「ヨット遊びしようぜ!」を通じて「追っかけ勝手レポート」を毎日書いていて約3ヶ月半に渡る追っかけレポートが終わってしまい「白石ヴァンデグローブ・ロス」に陥っていた頃です。辛坊さんのヨットが僕のセーリング・ホームゲレンデである駿河湾に差し掛かってきた頃から辛坊さんのセーリングの様子をFacebookに少しずつ書き始め、徐々に白石さんと同じように本格的な追っかけレポート化することで、なかなか日本近海から離れることができない辛坊さんを応援する気持ちで書き始めました。そして、その後も毎日書き続け、サンディエゴ到着から折り返して昨日の大阪淡輪フィニッシュまで「辛坊さんの追っかけレポート」をFacebookの僕のタイムライン上に毎日アップし続けてきたというわけです。

さて今回は、「辛坊 太平洋横断・ロス」に完全に僕が陥る前に、今回の辛坊さんの太平洋横断チャレンジについて少しだけ書いておきたいと思います。

今回の単独ヨット太平洋横断チャレンジについて

今回のチャレンジは2020年12月14日に記者会見で再チャレンジを行うことを正式発表、今年(2021年)4月9日に辛坊さんのホームポートである大阪府の淡輪ヨットハーバーをスタートして、アメリカ東海岸のカリフォルニア州サンディエゴまでのおおよそ10,000キロの片道チャレンジと言う話でスタートを切りました。


大阪出航から69日後の6月17日の朝にサンディエゴに無事到着し、これで辛坊さんのチャレンジも終わりになるかと思いきや、到着数日前から伝えられてくる情報の歯切れの悪さで何となく帰国もヨットでという予感はあったのですが、サンディエゴ到着の翌日には復路もヨットに乗って日本を目指すと宣言し、補給や往路で壊れたヨットのメンテナンスの傍らコロナワクチンの接種を地元のドラックストアで受けるなどの帰国準備を進め、サンディエゴ滞在僅か6日後の6月22日朝には日本に向けて再出航しました。
そして出航から63日目となる8月24日、大阪淡輪ヨットハーバーに無事帰ってきました。
全行程およそ4カ月半(中5日間の補給とメンテナンス)で大阪~サンディエゴ間の往復航海を単独無寄港でやり遂げたわけです。

因みに、サンディエゴでの宿泊は、上陸してホテルのベッドでゆっくり休むだろうと思いきや、自分のヨットで船内泊をされたそうです。一旦上陸して陸上での生活を取り戻してしまうと体が陸モードに戻ってしまい再出航で再度船酔いをしてしまうのを防ぐため、今回のチャレンジ期間中はずっと船が家だったというわけです。

準備が不十分とバッシングの嵐

今回の挑戦では、序盤に春の嵐に襲われ天候が安定せず、なかなか日本を離れることが出来ず、更に船上ではトラブルも頻発たことから、多くの方々から準備不足だというバッシングがSNSなどを中心にありました。また、辛坊さん流の方法で、ショアクルー(陸上からの支援メンバー)による気象情報の定時通信を衛星電話で貰う方法で航海を始めたのですが、これが最も批判を浴びました。しかし、この方法は良い方法だなって私は思いました。と言うのも、人に迷惑を掛けないとは言いつつも、太平洋横断なんてことをする以上、陸に居る家族だけでなく様々な周囲の人たちに心配を掛けてしまうわけです。ですから、全く迷惑を掛けないなんてことは絶対に無いわけですから、そこでせめて毎日生きていることだけでも連絡が欲しいわけです。しかし。海が荒れて疲れて眠ってしまうとか、いろいろ船上でやる事がいっぱいあると自から電話をするのは面倒なものです。しかし、衛星電話を使ってショアクルーと必ず1日1度、決まった時間に気象情報を受けるという形で通話するということは、絶対に航海で必要な情報をそこでしか受け取る事が出来ないわけですから、絶対に電話に出ようと努力します。これが自分で小さなパソコンの画面を揺れる船内で見ながらあれこれ考えるよりも余程合理的だし、パソコンを開いて作業する面倒も無ければ、トラブルで見れなくなる心配も無いわけです。まあ、オフショアヨットレースでやるロールコールの反対版というわけです。気象情報は航海にとって最も重要です。これが無いと航海の計画を立てることが出来ないわけですから、定時に電話を掛けてもらい定期的に気象情報を貰うことで、ダブルのメリットがあるわけです。沖に出てしまったら携帯電話の電波も届きません、勿論インターネットも使えません。結局、衛星電話を使ってデータ通信するくらいなら電話で直接話した方が早いわけだし、陸に居る人たちの意見も聞くことが出来るわけですから、その方が余程簡単で合理的ですね。頼れる人が居なければ、何とか自分で取る方法を考える必要がありますが、辛坊さんの場合にはショアクルーが居るのですから手伝って貰えばいいだけなんですよね。
外部との通信手段は「衛星電話が2台(1台は予備)」「国際VHF無線機」だけというものです。まあ、衛星通信を使ってインターネット通信をしようとすると、バカ高い費用が掛かりますから、電話で話した方が安いです。そしてこの定時電話は辛坊さんがレギュラーでやっていたニッポン放送のラジオ番組でも5分から10分間程度の辛坊さんの生存確認のコーナーとして、リアルタイムに辛坊さんの声が聴けるというコーナーにもなったわけです。全く以て、準備不足なんてことは無いし、考えられているなと感心しました。

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序盤で春の嵐の洗礼を受ける

出航して大阪湾から一歩外に出ると海の状況が悪化、勢力の強い春の高気圧の影響で春の嵐ならぬ30ノットを超える強風と5メートル超える大波という大荒れの一夜を過ごすという、春の嵐の洗礼を出航2日目にして早くも受けます。
ヨットは大きくローリングして船内に積まれたいろいろな荷物はぐちゃぐちゃに飛び交い足の踏み場も無くなるほどに散乱、更にジブファーラーはセイルが完全に巻き取れなくなるトラブルが発生しファーリングロープをコックピットに導くためのブロックも破損、船縁に積んでいた予備燃料のラッシング(固縛)が緩く海に落ちそうなるなど、更に極めつけは、船内に積んでいた予備燃料缶の蓋が外れて軽油10リットル近くがキャビン内に流出なんてハプニングまで起き、序盤から気力が萎えてしまいそうなトラブルの数々が起きてしまいます。普通の人なら何処かに寄港して一旦体勢を立て直してから再出航なんてことを考えますが、辛坊さんは旅を継続します。

日本周囲での苦難は続く

辛坊さんが4月出航に拘ったのは、日本に帰国するときに日本の台風シーズンにあたってしまうので、台風シーズンが本格化する前に日本に戻ってきたいという思いがあったそうです。しかし、その想いとは裏腹に往路前半戦で春の嵐に何度も巻き込まれるという皮肉な状態に陥ってしまいます。出航10日目には爆弾低気圧に遭遇し風速60ノット、そして更に夜になってから再度の低気圧接近でまたまた大荒れ、その次に台風2号に追いつかれて巻き込まれてしまうなどなど、日本近海から離れるまでに何度の嵐を越えたことか、とにかく往路の1/3は嵐との戦いと言ってもいいくらいに苦難の連続でした。


詳しくは、辛坊さんの航海日誌YouTube動画を見て頂くとして、この序盤の嵐との戦いと、ヨットのざまざまな場所が壊れたことが、後の余裕に繋がっているように思います。風速60ノットなんて普段のセーリングでは絶対に経験することはできません。辛坊さんのコメントに、何度もヨットが横転して死ぬんじゃないかと思ったなんてことをラジオの定時連絡でも仰っていたことがありました。それを乗り越えてきたわけですから、今や多少の波や風は恐れるに至らずというようになるのは納得できますね。

辛坊さんの序盤航跡
上の写真は、私のFacebookのスクリーンショットですが、こういうのを毎日書いていたわけですが、古野電気の特設サイトから提供される航跡を見ると、辛坊さんの苦難の跡が見て取れます。

辛坊さんの口から出た「無謀だった」の一言

辛坊さんのヨット歴は45年にもなるそうです。470ディンギーから初めて自己所有したヨットは4隻目。もうこれはかなりのベテランセーラーと言ってもおかしくないわけです。更にお仕事柄、とても博学で情報もしっかり集めておられるわけですから、ちょっとしたヨット乗りが思いつきで太平洋横断を挑戦するのとは全く違うと私は感じました。
しかし、45年ヨットをやっていたと言っても、とてもお忙しい方ですから、なかなかヨットに乗る時間も船の整備や準備に時間を割くことも難しかったんだろうと思わせられる部分は幾つもありました。いわゆる「ツッコミどころ満載」というやつです。
序盤から頻発する様々な破損やトラブルは、充分な時間とイマジネーションを働かせて予測をしたうえで準備をすれば、かなり起こさずに済んだことはあったように思います。辛坊さんなりには今回の再チャレンジあたってヨットを整備に出されたそうですが、細かな部分はご自身で見て判断しないと、整備を任された方も困ってしまいますもんね。そして、出航日程を急ぐばかりに出航前の準備がかなり甘くなってしまったのは否めない事実です。
そして、45年ヨットをやられていたとしても、余程レースにハマっているとか外洋航海を頻繁にしている人で無ければ、なかなか自分のヨットをベストコンディションに保つなんて難しいと思います。更に、普段はクルーを乗せてセーリングされているのとシングルハンドでは、これまた全く状況は異なります。ゆっくり考える時間、ゆっくりヨットを見つめる時間も無く、更にシェイクダウンの時間も足らなかったのだと思います。
そのあたりのことを辛坊さんはご自分の口で往路を終えた時に「無謀だった」と仰っています。その通りですね。
しかし、無謀だったにしては、スマートな(賢い)航海をされたと思います。そこがやはり、豊富な知識や情報が事前に頭に詰まっているからこそ、その無謀だった部分を船上で補うことが出来たのだと思います。

辛坊さんのオフショアスマートセーリング術

辛坊さんの今回の航海を追っかけてみて、とても勉強になったのがスマートなオフショアセーリング術です。白石さんのようなレースではない今回の辛坊さんの航海。チャレンジとは言ってますが、彼にとっての挑戦ではありますが、イベントでは無いわけですから何も肩肘張って頑張らなくても良いわけです。そんな肩の力が抜けた彼のオフショアセーリング術はオフショアセーリングを目指す人にはとても参考になるのではないかと思いましたので、気付いたことを幾つかご紹介しておきます。

1. 無理なことをしない

長時間航海で最も大切なことは、無理をしないことです。今回の辛坊さんのチャレンジでは、序盤から嵐に見舞われ、更にヨットでは不具合がどんどん出ます。こういった場合に、近くの港に逃げ込んでしまおうとか、何とか修理をしようと無理をしてしまうことがあります。しかし、辛坊さんはそこで冷静に考え、港に逃げ込むことがリスクに繋がるということで、あえて港に逃げ込もうとはしませんでした。これは、知らない港にはできれば入らない方が良いわけです。それよりも沖に居た方が事故の可能性は減ります。そして、荒れる海はいつか凪になります。その時を待つという方法をとったわけです。そして、風に逆らわない。嵐は全力で風下に走るなども印象的でした。更にマストには上らない、無理な修理はせずに出来るだけ簡単な修理で済ませると言うようなこともやっておられました。コックピットから出るということは、落水の危険が常に伴います。勿論、ハーネスを付けて落下防止するわけですが、普段から一人でマストに上ったりしない人が海上で一人でマストに上るのは無謀を越えています。ですから、別の方法で航海が続けられる方法を考えたわけです。メインセイルは前半戦で途中までしか上がらない状態になり、ジブも全て巻き取りが出来ない状態のままでサンディエゴに到着しています。また、応急グッズとしてダイニーマなどの高強度ロープで縛るという策を取っておられます。どうしても力の掛かる部分ですから、ネジやボルトを差したい、金物を使いたいと思ってしまいがちですが、それを高強度ロープで対策するあたりは最新のヨット事情を良くご存知である証拠です。

2. 無駄なことに時間を割かない

前の項でも書きましたが、パソコンは積んでいても、それは暇な時の執筆活動用で、辛坊さんはパソコンを使っての気象情報の収集や航海中に船上からのインターネット接続はされませんでした。現在の技術を以てしても、実は太平洋の真ん中で詳細な気象情報をパソコン上で表示するためには、かなり面倒な作業になります。衛星通信を使っても通信速度が遅く表示時間も掛かります。パソコンが壊れたり、表示できなくなったりするリスクを負う位なら、そんなことは最初からせずに電話で話せばよいと、きっぱりインターネットを船上では一切使わないことにされています。そうすることで睡眠時間もとることができるし、無駄な時間を掛けずに済みます。聞きたいことは陸に居る人に聞くだけです。そうすることで操船に集中するということをされてきました。
更に、陸からの気象情報も、実際のピンポイント位置のことまでは解らないのです。物凄く詳しく出るように思いがちですが、情報ニーズのあるエリアは気象情報サービス会社も詳細な気象情報を出しますが、本船も航行しないような太平洋のど真ん中の気象情報なんて、細かな情報は結局出せないのです。つまり、昔ながらの大雑把な気象図にプラスアルファー程度の精度の高さであれば良いのです。大体わかれば良いということです。
今回の辛坊さん的なやり方で考えるなら、情報を貰ってから次の情報をもらうまでの間にどのようなセイルのセッティングで行くかを考える材料さえあれば良いわけです。それも特に夜、何も見えなくなってしまう時間にセッティングを変えなくて良いように決めてしまいたいわけです。それ以外の情報が仮に沢山とれたとしても、それは無駄なだけということです。
だからこそ、自分の位置情報だけはしっかりと解るようにしておけば、ショアクルーがその先のことまで調べてくれるというわけです。

3. 船に絶対の信頼を置く

今回の辛坊さんの航海は、気象面を考えると往路はかなりハードなものでした。普通のヨットでは何度も来る台風級の嵐の海を乗り越えられなかったかもしれません。そこで絶対の信頼を置ける心の支えともなったのが、辛坊さんのヨット”Kaorin V” ことハルベルグ・ラッシー “Hallberg-Rassy” です。世界中のヨットマンから最高の人気と信頼を得ている、このヨットを太平洋横断チャレンジに使ったことは、辛坊さんにとって最も心強い相棒であった筈です。

 HALLBERG-RASSY 39

辛坊さんのヨットは39フィートのセンターコックピットタイプと大きさ的にも一人で航海するにはちょうど良いサイズ感と安定感があります。小さければ荒天や高波に弱くなるので操船が非常に難しくなります。逆にこれ以上大きいと何かあった時に1人では対処しきれないという不便さが出てきます。大きいヨットは安定感はありますが、すべての物が大きくなり、それだけ作業が大変になります。作業が大変になる代わりに動力を用いることになりますが、操船面で動力を使えたとしても動力が使えなくなった時に自力で動かすには、これ以上大きいとかなりのフィジカルの強さが求められることになります。そういった意味で、今回のヨットの選択は辛坊さんにとって最適のチョイスであり、辛坊さん自身が全幅の信頼を置ける存在でもあったことが心の余裕に繋がり、それが冷静な判断ができる余裕を与えたということが言えると思います。

最後に…「あっという間の往路、精神的にきつかった復路」

辛坊さんをおよそ4ヶ月半毎日追っかけをしてきましたが、往路の苦行のような嵐の連続に比べ、復路は終盤に遭うだろう台風の心配をしながらも結局全く何もなく貿易風に乗って大阪まで戻ってきました。傍目には、帰りはセーリングを楽しんでのんびり航海を楽しめたのではないかなと思っていましたが、辛坊さん曰く、行きは確かに大変だったけれど必死にやっているうちにサンディエゴに到着したので、あっという間と言う感じだった。しかし、帰りは余りに安定し過ぎていて、いろいろとヨットの中で考える余裕があり過ぎて、逆に要らぬことをいろいろ考えてしまい、かえって精神的にキツかったと仰っています。
この心理は、僕には理解できない部分もありますが、辛坊さんの中では出港前から様々なことをシュミレーションして、頭の中ではいろんな準備をかなり綿密にしてきたということだけは解りました。


日本からアメリカに渡るという片道の話が、サンディエゴに着くと帰りもヨットで帰るという発表には驚きました。しかし、往路の終盤で何か発言の歯切れが悪い感じがして、サンディエゴに到着しても何だかやり終えた感が少ないなと思っていたら、帰りもヨット…と言う話になり、なるほどこれは最初からそう考えていたんだなって思いました。往路で修復不可能なダメージを受けてしまったらサンディエゴで本当に終わりです。ですから最初から復路のことを考えて、船を壊さないように工夫されていたんだなって思いました。ですから、辛坊さんにとっては往路が本格的なシェイクダウンであり、復路はシェイクダウンの済んだ状態でしっかりセーリングするという感覚だったんでしょう。だから、いろんなことを往路で経験し乗り越え見えてきたことで、復路は考える余裕があるので、必要以上にいろいろと考えすぎて何事も怖くなってしまったということだと思います。「知らぬが仏」とはそういうことなんですね。


辛坊さんの太平洋横断航海の様子が毎日YouTubeでアップされています。1日で1日分の動画がアップされます。動画のアップはサンディエゴに着いたタイミングで動画データがスタッフに渡されたので、これを書いている今日現在、未だ動画はサンディエゴに着いていません。今後どんな様子が動画で出てくるか楽しみですね。
また、僕が書いていた追っかけFacebookと併せ見ていると、あの時の予想や解説は合ってたなとか、実際の現地の海の状況や辛坊さんの様子を追体験するようで、自分で読み返してなかなか面白かったです。

なんだか、今回の記事はとりとめの無い内容になってしまいました。まだ、いろんなことが整理できてないせいですね。

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